「あなたは大丈夫」
それは決して、会話の端に付け加えられたような軽い言葉ではない。「あなたを信じている」という尊い思いから発せられた言葉だったんだと思う。
新卒1年目、判断を間違えたと絶望した春。突然仕事を失い、途方に暮れた夏。手を差し伸べて暮れた人たちのおかげで新たな場所で歩き出した秋。そして、支えてくれた人たちの温かさに感謝しながら、この冬を過ごしている。
◎ ◎
新卒で入社した会社は、何もかもが採用前に言われていたことずれていた。「新事業責任者」と散々持ち上げられた挙句、「優秀なんだから勝手にやってくれるでしょ」とパッと高いところから落とされたような日々だった。
内定時に「こんな事業をやろう」と言われていた話に、一つも実現可能なものはなく、担当者の夢物語でしかなかったのだった。騙されたと思ったし、逃げることばかり考えていた。それでも退社するのを躊躇していた。1社目が失敗だったと認めること、それはまるで降伏宣言のように感じられたからだった。大企業への新卒切符を破り捨てでも選んだベンチャー企業だったから、早々に撤退などプライドが許さなかった。でも現実は残酷で、「置物社員」と呼ばれた私はただ仕事もなくデスクに座るだけの日々だった。
そんな私が会社を辞める決意ができたのは、父の言葉があったからだった。
「帰ってきていいんだぞ。次が決まるまで、しばらく家にいればいいじゃないか」
保守的で、価値観が前時代的で学生の時はいつもぶつかってきた父。大学生にとって今では主流とも言える選択肢である休学を、どんなに説明しても許してくれなった父。その父が、無職を許した。
◎ ◎
結局は会社の方から、最後通牒もなく退職通告を渡してきた。あまりにもあっけない終わりだった。突然放り出された私は色んな大人に助けられてなんとか生き延びた。転職のこと、適応障害の診断を受けた自分自身の扱い方も、人生の先輩たちに相談した。
そして恩師の誘いで、母校で仕事を得た。社会人1年目の新しい人生が思い出の地で再び始まった。今の仕事は、慣れ親しんだ環境でさらに興味に近いことにも取り組めていて充実している。
新しい職場での最初の目標は、「年末までの3ヶ月間、無遅刻無欠席無早退」。社会人になって早々に機能不全に陥った私にとっては、そんな当たり前のことが試練のように思われた。でも、あっという間の3ヶ月。気づけば難なく目標も達成していた。
◎ ◎
3ヶ月前とはまるで違う自分がいることを感じる時、支えてくれた人たちの大きさを知る。当時、私はもう私自身の思考も判断も何もかもが信じられなくなっていた。それでも、再会した人たちは皆私に同じ言葉を贈ってくれた。
「あなたは大丈夫だ」
それは何度、無様に失敗しようとも、また立ち上がって歩き出せることを、ただ信じてくれているから、あるいは願ってくれているからこその言葉なのだろう。まだ未熟な20代で、実績があるわけでもないのだから。
「あなたは大丈夫なんだ」と言えるその根拠とは、愛そのものだろう。
今年の年末はゆっくり実家で過ごしつつ、相談に乗ってくれた人生の先輩たちに会いに行こうと思う。
「大丈夫」の言葉があったから、新しい職場ではちゃんと働けているよ、と伝えに帰ろう。