失踪した彼と、私は恋を辞めた。愛を永遠にしたかった。

出会って5年半、付き合って3年半、初めて温かな気持ちになれた、小さい恋だった。

知識が豊富で頭が良い彼に惹かれ、私たちは付き合った。そして別れた

大学生の時から付き合っていた、気の置けない友人との恋、惹かれるのは必然だった。初めてのデート、中目黒の夜桜を横目に、無意識にも3時間話通して、2駅も歩いた。対人において気を遣わないなんて、彼が初めてだった。「一緒にディズニー行ったら絶対楽しいよね」なんて、本気で思って付き合い始めた。

人前では口数が少なく「陰キャラ」ともいじられる彼は、知識が豊富で頭が良かった。何事も万遍なく普遍的な女だった私は、論理的な話をする彼が好きだった。彼は、浅くて広い趣味を持っていた。“広い”の概念が果てしなく広くて、浅くて狭い私の本の話や音楽の話も、ここまで話が通じる人は初めてだった。

感性が似ていた彼とは、付き合い当初、よくハモっていた。夕飯何を食べたいか、心理テストの選択や衝撃ニュースへの感想。あらゆるところでハモっていて、他人とここまで気が合うなんてと思っていた頃には、もう愛していた。

彼が苦悩を話したのは、2ヶ月目のことだった。「初めてになれないことがしんどくて、1回別れてまた付き合いたいと考えてしまう。こんなひどい話、ごめんね」そんな人間もいるのかと、私は「気にしないで」と返した。彼が真面目に言うものだから、気にも留めなかった。私を大事にしてくれていることにしか、気が向かなかった。

男にとって、“最初の男になる”こと、女にとって、“最後の女になる”ということ、私は同義だと思っている。私は普遍的に後者なので、これからの恋愛において最善を尽くすしかない。

彼が女という生き物、恋愛という生ものを理解し始めた頃、女性と遊びに行った。大真面目に「別れたい」と言った彼は、大真面目に、誰かの最初になりたかった。のうのうと浅い恋愛をしてきた私にとって、最後の女を目指していたというより、最後だといいねぐらいに思っていた私にとって、過去なんぞどうでもよかった。

盲目な女の戯言と言われるようなことは、基本的に言いたくはないのだけれど、スーパーに行くのが楽しいと思ったのは、彼が初めてだった。病気になっても支えて生きたいと思えたのは、彼が初めてだった。喧嘩をして自分の非を認めて話し合えたのは、彼が初めてだった。だけど、論理的な彼には、感情の初めてなんて通用しなかった。

その年の大晦日に彼と別れた。中目黒を散歩して、桜も散った季節には、イルミネーションが光っていた。2人の別れを感謝するように綺麗に光っていたけれど、もう寒くて3時間も歩けなかった。

年末までバイトを休み、予定を断り10日間も彼の家にこもって、2人で泣きながら見たヒューマンドラマは、彼と愛し合った日々の小さな夕日だった。他人と10日間も一緒にいられたのは、初めてだった。

彼は私を否定することなく「そのままでいい」と言ってくれた

彼とよりが戻ったのは4ヶ月後、初めてを諦めたのか、楽しいスーパーに行きたくなったのか、はたまた誰かの初めてになったのか。私が彼を許した理由。

というより、喧嘩をしたときに、話し合ってくれるところが好きだった。浅い私を、全て受け入れてくれる彼が好きだった。イヤホンやスマホは、すぐになくして壊して消耗品、反対方向の新幹線に乗ってしまう病的な私は、母親にずっと「病気だよあんた」と言われてきた。そんな私を、否定せず「そのままでいいんだよ」と言ってくれた彼は、私を愛していたし、彼も自分を否定したくなかったのだと思う。

彼が人との関係を絶ったのは、3年が過ぎた頃だ。一つのことしかできない彼は、サークルを頑張りすぎて留年をし、翌年はゼミを頑張りすぎて適応障害になった。私の家とバイト先の往復しかしなくなった夜に「死にたい」と言いだしたこと。その度に私は「そのままでいいんだよ」と焦らせないように背中をさすり、抱きしめた。

会社員になっていた私は、彼と遊びに行くはずの祝日に、なんとなく社用メールを開いた。待ち合わせ時間も決まっていない、3年過ぎたカップルのデート日、いつ連絡が来るんだと思っていた。

「息子が身の回りのものを全て残して、いなくなりました」と、彼の母親からメールが来ていた。親との連絡も途絶えがちだった彼は、母親に何かあったときのためにと私の名刺を渡していた。そのメールを会社で見ていたら、どうなっていただろう。

彼は携帯も財布も持たず、身一つで数ヶ月消えた。ホームに落ちて死んだ人の話、ホテルで自殺した人の話、世のニュース全てに彼を置き換えてしまう。彼が戻ってきた頃には、彼を支えて生きていくという自分のあり方について、そんな自分が嫌いだった。

ホームレス仲間を見つけ、日銭を稼ぎ、失踪前よりご飯を食べて活き活きしていた彼に、私はゆっくりと聞いた。「責められるのが、焦らされるのがつらかった。消えてなくなろうと思った」。彼の失踪は、私の一言だった。

彼を本当に愛していた。でも、私たちは一緒にいるべきじゃない

彼が消えた日から、会社で泣いて、帰宅して泣いて、彼の支えになれなかったんだろうかと思い悩んだつもりの私が、彼を追い詰めていた。背中をさするリズムが段々速くなっていて、抱きしめる力が強くなっていたんだと、浅はかな私は今更気がつく。そんな彼の一言にも、私は追い詰められる。

彼を愛していた。いつだって話すこと、デートをすること、退屈や面倒がなかった二人だったのに、彼を追い詰めた存在が、私になってしまったその瞬間、私は別れを決めた。消える理由が私になったその瞬間に、一緒にいるべきじゃないと思った。

最後の女になりたかった。二人は、最初の女だったし、最後の男だった。この先人生で愛する人ができても、彼との愛を失いたくなかった。だからここで、恋を辞めて、二人を永遠にしたかった。

別れを拒まなかった二人は、きっともう別れていたんだね、と。

彼はSNSを辞めた。グループLINEも読まないし、大学を辞めたかも、就職したかも、生きているかもわからない。命が見えないってこんなにも不安で、でもだからこそ愛を糧に、強く私を生きていきたい。愛してるよ。