最近、大人になるにつれて直筆で文字を綴る機会がどんどん失われているような気がします。小学生の頃は日々ノートにせっせと漢字の書き取りなどを行う宿題が課されていたし、娯楽としてもプロフィール帳や仲の良い友人同士で日々交換日記をするといったブームもありました。
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そう考えると今は小学生のうちからスマートフォンを持っている子供もいると聞くため、遊びの主体や考え方も大分変わってきているのだろうなとしみじみと感じます。
そして私は昔、母の日、父の日、友人の誕生日やクリスマスといったイベント事がある度によく手紙を書いていました。
元々自分は口下手であったため、直接言葉に出すよりも文章にした方が相手に上手く自分の気持ちを伝える事ができる、という性も相まって何かにつけてはお気に入りの便箋にせっせと文字を綴り、また時には相手からも自分宛の手紙を受け取るなどして、コミュニケーションの1つの手段として活用していたのです。
手紙って不思議なもので、よく授業の一環で書かされる感想文等とは違い、あらかじめ下書きをしていなくても案外スラスラと文言が頭に浮かんできて、手が進んでしまうものなんですよね。
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そのため、普通は逆だと思うのですが、便箋が8枚入、封筒が4枚入というようなセット内容のレターセットもやたらと便箋の減りだけ早く、それに対し無駄に封筒ばかりが余ってしまうという事態が自宅ではよく発生していました。
しかし、大人になるにつれて人に手紙を書くという行為から、どんどん遠ざかってしまったように感じます。
昔に比べて恥ずかしさがある、とう点も勿論あるのですが、今では何かイベント事があっても家族にわざわざ手紙やメッセージカードを贈ったりもしないですし、友人に対しても手紙はおろか、毎年の年賀状のやり取りすらもハガキなど出さずにただメッセージアプリに一言、「あけおめ!今年もよろしく」などと送るだけで、非常に手軽で楽とはいえども何とも味気ない仕様になっております。
しかし、そんな中でも去年私は一度に沢山の人に対して手紙を書く機会があり、それは、前の職場を退職するタイミングでした。
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前職では嫌な人も多かった反面、お世話になった方々も沢山いたため、辞めてしまえばもう会う事ができない人もいるだろうし、それならばこの機会に一度感謝の気持ちを込めて手紙を綴ろうではないか、と思い立ったのです。
全部で書いたのは計4人ほどでしたが、これまでの経験上私は家族以外の自分よりわりと年上な人に対し手紙を書いた事がなかったため、文章の構成や文字選びには非常に気を遣いましたし、もうこれがほぼ最後のお別れになるのだから、と思うとその人との間にあった印象的なエピソードなど、書きこぼしがないよう、一人一人じっくり時間をかけて文章を作り上げていきました。
そうなると、使用した便箋の量も非常に多くなってしまい……一番長い人で約8枚くらいはあったように思います。
書き終わってからあれ、もしかしてこれ長すぎて読んでて途中で嫌になっちゃわないかな、と不安に思う場面もあったのですが、それ以上にそれだけの文字量を書き終わった後の達成感にはこの上ないものがありましたね。
書いている中で自分自身、忘れかけていたその人との思い出やエピソードを再び呼び起こす事ができましたし、何より筆が乗るにつれて昔頻繁に行っていた誰かを想って文字を綴るという喜びが何年もの時を経て、自分の中に再び思い起こす事ができたように思います。
職場のお世話になった方々への花向けともいえる手紙は概ね好評であり、その反応は純粋に嬉しかったですし、やはり自分の気持ちを直接は言えなくとも、こうして形に出す事はとても大事な事であるな、と再認識させられた機会にもなったと思います。
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この経験を経て、私は時間がある時にはできるだけ面倒臭がらずに人に手書きの手紙を書く習慣を再び持つようになりました。
文具屋やバラエティショップに行って可愛いレターセットを集めるのも単純に楽しいですし、便箋数枚を使いせっせと書き上げた後、封筒にそれを入れてお気に入りのシールで封をし、表紙に宛名を書くとああ、私は今の時間をこの人のために使ったんだな、という気持ちが心の底からじわじわと湧き上がってくるのです。
手紙は、このデジタル社会だからこそより価値があると思いますし、いつでもどこでも気軽にパッと書けるものではない分、封筒の中には相手の事を想う時間が、そして気持ちが詰め込まれているように感じます。
少し時間がかかる分、面倒に思ってしまいがちですが、私は今後も書けるタイミングがある時には、できるだけ手書きの手紙を綴る習慣を大切にしていきたいなと思います。