サラダを食べるような人間関係と、タバコを吸うような人間関係がある。
私にとって彼とのお付き合いは紛れもなく喫煙行為だった。

大晦日の京都。彼と私のお付き合いは始まった

京都で学生生活を始めた一年目、大晦日の冬。
観光地に住むというのは大変だ。
よくわからない何かの行事で馬が道を横断するのを待っていたらバイトに20分も遅刻したことがあるし、とにかくどこへ行くにも混んでいる。
そんな感じの生活だったため、わざわざ有名なお寺や神社に足を運ぶことは滅多になかった。

ただ、大晦日は違う。
電車は24時間運行し、神社には屋台がひしめきあう。町を知り尽くしている市民が主導権を握り、そこにいる全員に「京都で年越しをしている」という自意識が働いている様な感じで、とにかくみんなハイ、お祭り気分なのだ。

例に倣って私もともに大晦日出勤を終えたバイト仲間数人と八坂神社に来ていた。
そこに彼もいたが、彼は当時まだ「気になる人」というステータスだった。
人が多すぎて、お互いの声もあまり聞こえない。
昔からイタズラや突拍子もないことをしたくなる性分なので、隣を歩いている彼に唐突に「ねえ、みんなに黙って反対向きに歩かない?」と言った。
すると彼は笑って私の手をパッと握ると、足早に人混みの中を逆走した。
そこから彼と私のお付き合いは始まった。

「あなたに出会えて本当に感謝している」と彼は言った

付き合った当初、彼は本人が思い悩むほど人の気持ちを読み解くこと、寄り添うことが苦手で、平気で「元カノの方が料理が得意だった」といった発言をしたり、デートの途中でも近くで友達が飲んでいると知るや否や、私をその場に置いて居酒屋に向かったりと、父に会わせたら一発殴られるんじゃないかと思うほどの男だった。
結果的に彼とは大学を卒業する直前までお付き合いを続けた訳だが、それは彼が私のことを徹底的に愛していたからに他ならない。

私を傷つけたともなればものすごい労力を使って反省し、本気で自分の短所に向き合う人だったのだ。愛の力を持ってして彼は誰の目から見ても“彼女思いのいい彼氏”へと変貌を遂げていった。

昔からの彼の友人は彼のあまりの変わり様に驚き、「本当にいい人に出会えてよかったな」と口にしたし、彼自身も「あなたに出会えて本当に感謝している」と言っていた。
彼にとって私はサラダだったのだ。

「わたし、あなたの人生じゃなく、自分の人生に責任を持ちたいの」

時は流れ、私は大学三年生の冬、就職活動期を迎えていた。
もともと北関東の田舎から関西まで出てきた身だ。自分のしたいことがそこにあるならば例え北海道でも、沖縄でも、ブラジルにでも行く気持ちだった。
どうなるか分からない人生というのはとても楽しい、そこに飛び込んだ時、自分という人間がどの様に変化し何を感じとるのか確かめたくて仕方がない、そうして実験的に生きてきた私に保守的な選択肢はなかった。

しかし、彼は違った。年上で一足先に社会人になった彼は、私が京都の学生というだけで京都の企業に就職したし、私が東京の企業にエントリーシートを提出しただけで「上司に転職を相談する」と言い出す様な人だった。
徹底的な彼の愛は私に一時の安らぎをくれたが、同時にこの安らぎは自分にとって健康的なものではないのではないかという不安にかられる様になった。
緩やかに朽ちていくのだな、そう確信が持てた。
私にとって彼はタバコだったのだ。

今日で最後。私の部屋のベッドで昼寝から目覚めた彼に告げた。
「わたし、あなたの人生じゃなく、自分の人生に責任を持ちたいの」
約三年間、私のことを隣で見てきた人である。
私がいつかこの決断をすることに気づいていたのか、諦めたように涙目で微笑みながら「帰りたくないなあ」と言って私のことを抱きしめた。
こうして私と彼のお付き合いは幕を閉じた。

男女に限ったことではなく、人間関係というのは本当に難しい。
今の状況が自分にとって健康的か、長い目で見て相手に不健康をもたらしていないか、常に立ち返って適切な摂取量を見つけていかなければいけない。
以前久しぶりに開いたSNSで彼の姿を久しぶりに見た。
彼と別れてから約三年。彼はタキシードを着て、ウェデングドレスを着た可愛らしい朗らかな女性の横ではにかんでいた。
長文で綴られた、結婚に至った経緯や周囲への感謝を伝える文章を読んでいると胸が熱くなるのを感じた。
彼は、誰かにとっての一生食べ続けたいサラダになったのかもしれなかった。