雪が降ってきたのか、雪が降っていたのか覚えていない。「雪だ~!!」はしゃぎながら外に出た。積もった雪を使って、雪だるまを作った。大人一人入れるくらいのかまくらも作った。どうすれば頑丈に作れるかな。どうすれば人が入れるかな。じぃじの号令で、みんなで一生懸命作った。足も手も顔も耳も、全身冷えて凍えているのに、不思議と寒いとは思わなかった。ずっとそこにいたかった。
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私の中で「雪」といえば、十年前に死んだ祖父を思い出す。子供のように遊ぶことが大好きな祖父だった。(子供と、ではなく、子供のように、である)夏場は山へ連れていかれ、疲れたといっても休ませてもらえない。「散歩に行くぞ」と言われついていけば、散歩どころではない距離を歩かされる。遊んでもらう、というよりは遊んであげる、孫が祖父の遊びに付き合ってあげる、そんな祖父だった。
あの日は東京では珍しくかなり雪が降り積もった日だったと記憶している。祖父母の家の前は道路を挟んで広い芝生になっており、子供が雪遊びをするに絶好の場所だった。近所には祖父母の年代の人ばかり住んでいたから、その雪は誰にも踏み荒らされていなかった。真っ白な雪の上に足跡を付けたり、ふかふかの雪で遊ぶことが楽しかった。孫たちに交じって、祖父も一緒に、全力で雪遊びをした。
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祖父は孫に容赦なかった。固く握りしめて、石のように固くなった雪を投げつけてきた。(今考えてみたらめちゃくちゃ危ない)私もやり返した。しかし、年を取ったおじいさんとはいえ、中学生の私は握力では祖父に勝てなかった。
祖父より強固な雪の球を作ることはできず、やられっぱなしだった。どうせ祖父には勝てないし、雪合戦はなんだかすぐに飽きてしまった。次は雪で何かを作ることになった。あれだけ雪が降るのは東京ではすごく珍しかったので、普段作れないものを作ろうとなったのだろうか、かまくらを作ることになった。
どうすれば頑丈で、大人も入れるものを作れるか。もの作りが趣味だった祖父の号令で、一生懸命作った。まずは土台を作るべく、雪を積み上げていく。大きなシャベルで祖父が雪を積み上げ、小学生の末っ子たちが踏んで雪を固める。中学生組は造形したり、祖父と一緒に雪を積み上げたりして働いた。どれくらい作業していたのだろうか、あまり詳細には思い出せないけれど、体が芯から冷え切ったころ、かまくらが完成した。小柄な小学生が二人ほど、成人男性であれば一人ほど入れるほど大きさだった。
雪でできているのに、入ると冷たい空気が遮断されて、すごく暖かかった。かまくらの暖かさにびっくりして、興奮したのを覚えている。人が入れるといっても中でお茶をしたり、なんてことはできなかった。長時間外で作業していたので、完成後はかまくらで休憩、なんてことはせず、家の中で暖を取った。作ったかまくらは使われることなく、知らぬ間に溶けてなくなっていた。
あの時、祖父どんな会話をしたのかは十年以上前のことだから忘れてしまった。祖父と全力で遊ぶのは、あれが最後になった。その後半年と経たずして祖父は天国へ行ってしまった。元気な祖父の記憶しかないので、未だにどこか遠くへ旅に出ていて、いつかふらっと帰ってくるような気がしてしまう。
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きっとこれからも、雪を見るたびあの日のことを思い出すと思う。あれから十年たったけれど、雪を見るたびに最初に思い出すのは、友人と雪で遊んだ日でも、交通麻痺の影響によって、遅刻者が続出した(半分はサボりだった)ガラガラの教室でもない。あの日、祖父と遊んだ日のことだ。きっとこれからもそうだと思う。最近温暖化のせいか、東京で雪を見ることはほとんどなくなってしまった。電車は動くし、路面が凍結しているから、転ばないように、ペンギンのように歩く必要もない。
けれど少し、いや、かなり寂しい気がする。祖父が死んで今年で十年。もし今年雪が降って、積もったりしたら、祖父と遊んだあの場所で、またかまくらを作ってみるのも良いかもしれない。結局寒さに負けて家から出れない気がするけれど(その可能性が高い)。
じぃじごめん。私はもう大人になって、雪でかまくらを作る元気がなくなったよ。けどこれからも、雪のたびにあなたと全力で雪遊びをしたことを思い出すと思います。大人一人しか入れなかったあの小さなかまくらのことを思い出します。石のように固い雪玉を投げつけられたことも、絶対に忘れません。