私は、この1年は何をするにも自分で考え責任を持って行動することを目標にします。

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私は、3年前(大学卒業)まで、とある宗教にどっぷり浸かっていました。私が小学生の頃に家族でその宗教に入り、休みの度にそこの施設に通っていました。私の入っていた宗教では、進路や部活など様々なことをその宗教に決めてもらい、その指示通りに動くと良いご縁に巡り会えるという教えがありました。

当時に私は、うまく行かなければ、「宗教が決めたから……」と人のせいにして、新しく何かするときは不安で宗教側にどれが良いか決めてもらっていました。今思うと、他人の人生を生きている感覚でした。

しかし、宗教に入っているときは幸せも感じていました。宗教の場がサードプレイスになっていたため、学校でうまく行かないことがあっても、私は宗教に入っているから大丈夫と希望を持ち続けることができました。

また、その宗教で友達もできて、自分の居場所がある安心感がありました。さらに、いろいろな年齢の人がいるため、学校と家だけでは接することのできない年齢層の人とも話すことができ、対人能力のスキルも身につきました。

私は、このまま死ぬまで宗教に通い続けると思っていました。だが、転機はいきなり来ました。

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大学4年生の時、体調不良で精神科に入院しました。その後、宗教側から「これからは、家族と話し合って自分の人生を決めていってください」と言われ、施設に入る時に見せるカードを回収されました。

宗教が自分の大部分を占めていた私は、途方に暮れました。今までの進路や悩みなどを全て宗教に頼っていたため、自分で決める習慣が身についていませんでした。また、宗教に言われたことをこなしていたため、自分のやりたいことが分かりませんでした。

どう生きたら良いかわからない私に、母は「楽しいと思うことをしてみたら?」とアドバイスをしてくれました。今までは、宗教から良いと言われていたことを必死にしていて、自分の感情を優先することはしてこなかったため、その発想が自分の中にはありませんでした。

とりあえず、母がやっていることを真似してみる時もあれば、少し気になったことをやる時もあり、なんでも挑戦するようにしました。3年間、様々なことに挑戦して向かなかったものもありましたが、最近ようやく「文章を書くこと」が好きだと気づきました。

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宗教に行けなくなった時は、途方に暮れて生きることが怖いと感じていましたが、今になって自分のことは自分で決めることが、本当に好きなことを見つけるきっかけになったと感じています。

宗教に行けなくなったからこそできることもありますが、宗教に入っていた経験も無駄ではなかったと感じます。今、職場や趣味の習い事でも宗教に通っている人がいますし、その人たちのことに対して偏見を持たないのは、自分も宗教に通っていた過去があるからだと思います。また、宗教の教えも、「家族仲良く」や「明るく謙虚に人と接する」など日常生活にも使えます。

この1年も、今まで宗教で教わったことを無駄にせず、また自分で道を切り開くため、自分の頭で考えて行動に移せる人になります。そして、もしうまく行かないことがあってもそれは自分の責任だと思い、行動を改めます。