毎日ストレスがかかることばかりで、なぜこんなに生きにくい世の中なのかと考えることはないだろうか。こんな風に考えられるということは、自分にかかる重荷やストレスに気づくことができているのだろうと思う。

しかし皆が気づくことができるのではなくて、気づけずに抱え込みすぎてしまう人もいるだろう。私もその1人である。

毎日過ごす中で積み重なっていくものは、気づかない内に溜まっていって自分を支配していく。徐々に自分が毒されて、身も心も蝕まれていくような感覚に陥り、自分を弱らせていく。その状態に気付いてあげられることがどれだけ、自分を救うことになるのか、身をもって経験した。その経験を皆さんにも共有したい。

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私の日々は、猪突猛進型で目の前にあることを達成するために、ひたすらにこなし続け生きている。目標に向かって全力投球できることは、とても誇らしく感じる私の一部である。

しかし一方で周りの景色はもちろんのこと、自分の状態にさえ気づかずに100%で走り続けてしまう。これは周りへの迷惑や自分を追い込んでしまうことに繋がりやすいのである。

ある日の朝、目が覚めて起き上がろうとすると、私の身体は全身が鉛みたく重く、動かすことができなかった。この日は週の最後で、欠席したらまずいゼミの授業や授業でしか資料が手に入らない授業もあって、とにかく行かなければならない大事な日だった。

しかしこの時は、そんなことも考えられないほど余裕がなくて、しんどく、辛い気持ちであふれていた。今から起きて、顔を洗って、メイクして、諸々の準備をしてから約2時間もの間、電車に揺られることまで想像すると、とてもじゃないけれどできる気がしなかった。

すなわち大学に行けないことだけはわかった。とりあえず何もせずに椅子に座って、ボーとすることしかできなかった。

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そんな時「大学を休んだら……」と、「ゼミの成績は落ちるかも」、「授業資料見せてもらうために、友達がいないから誰か同じ専攻の人に声かけなくちゃ」、「そういえば提出期限の近いレポートがあったな、あと次の週にもあったし早くやらなきゃ」といった様々な不安があふれてきた。そんなことを考えていたらふと「つかれた」が口からこぼれ出て、同時に涙も目からあふれ出てきた。

今考えてみると「ああ、私、つれてるんだ」とやっと理解できた瞬間だったと思う。そしたら涙がますますこぼれ出てきて、いつの間にか子どものように泣いていた。

しばらくして、私の中の意識が戻ってくると、なんだか自分に言葉をかけたくなって「よく頑張ってきたんだね、そして今も頑張ろうとしているんだよね」と口にした。そしたらまた涙があふれてきて、この1時間にも満たない時間で一生分の涙を流したようだった。気づくと、朝感じていた身体と心の重みが少し軽くなっているように感じた。

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本当に「つかれた」と「頑張ってきたんだね」という2つの言葉を自分にかけることができて良かったと思っている。

この経験における「つかれた」と「頑張ってきたんだね」の2つの言葉は、私の限界を知るきっかけとなり、さらに心を軽くしてくれた。またこの言葉たちをきっかけに涙を流すことで、いい疲れが出てお腹が空いたり、睡眠が取れたりと身体的にもエネルギーを蓄える良い機会となった。

個人的に「つかれた」と「頑張ってきたんだね」という2つの言葉は、それぞれマイナス的・プラス的な表現で真逆に感じられる。しかし「つかれた」は毒を溜め込んでしまっていた私を解放する言葉で、「頑張ってきたんだね」は毒を浄化し、さらにパワーをくれるような癒しの言葉として役割を果たしてくれたと思う。
もちろん猪突猛進型でやってきた私の毎日は、やることにあふれていて充実していたし、満足感もあった。しかしその時々に溜まっていた、心配、不安、疲労感、負担感などのストレスが自分を蝕んでいることに気付いてあげることができていなかった。

それらを吐き出して、毒を緩和する機会も作ることができず、無意識の内に私の心も身体も悲鳴を上げていたのではないかと思う。その上で、この2つの言葉は「じぶん」という存在の大切さを教えてくれた。この言葉を授けてくれた自分にも感謝している。

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もし次にまた同じようなことが起きたとしたら、この言葉たちを自分にかけてあげたい。まず私が抱えているものに対する限界が表面化する前に、普段からこの言葉たちをかけてあげたいと思った。

普段から多くの事柄を抱えて、無意識に苦しんでいる自分に「疲れているんだね」と共感して、「頑張ってきたんだね」と認めることができれば、その時々に発散することができて、今回のように自分が動けなくなるほどの状態に陥ることはないと思う。自分が今必死になっていることから逃げたくはないという意志を尊重しながらも、その先もやりたいことが続けられるように自分を大切にしたい。

私のように日々、自分が抱え込んでいる負担の存在に気付かず、それらに対する自分のケアも忘れて、必死に走り続けている人がいるのではないだろうか。確かに頑張ること、継続できることは素晴らしいと思う。私もそんな自分を誇りに思っている。そしてそれが成り立っているのは「じぶん」のおかげで健康であるからこそである。

しかし「じぶん」はどんな傷にも耐えられるほどの頑丈さを兼ね備えてはいない。我慢し続ければ、いつか限界がきて壊れてしまう。「じぶん」を守るためにも、自分に対して共感して頑張りを認め、感謝の言葉を自分自身に伝えてあげることは大切であると思う(私はまずは1日の終わりに、実践してみたいと思う)。

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この大切さを自覚したばかりで、すぐに実践できるかどうか不安に思う部分もある。しかしこの大切さに気付けたことだけでも大きな一歩前進であると考えて徐々に意識していけたらいいな、といった感じで重く捉えすぎずに考えている。

もし、これを読んでいるあなたも同じような状況にあるならば、私と共に自分を大切にする言葉かけを意識してみてはいかがだろうか。