言葉は誰かの心を救えるが、誰かの心を壊してしまうこともある重紙一の存在である。
私は、ネットの悩み相談のボランティアをしたことがある。ボランティアをしようと思ったきっかけは、私は吃音症であり、声を出すことが苦手で、文字なら誰かの役に立てると感じたからだ。また、私自身そのネットの悩み相談を相談者として受けて、とても心が救われたこともあり、次は支援者として私が誰かを助けたいと思った。

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ボランティアは、初めは順調だった。相手の悩みを聞き、自分なりにアドバイスして、評価も高評価だった。自分の経験が役に立った時、自分の今までの苦労が報われた感覚だった。
しかし、だんだんと壁にぶつかっていった。アドバイスを全員が求めているわけではなく、ただ聞いて欲しいという人がいて、私のアドバイスで相手を苦しめてしまったこともあった。

あとから思うと、私と生い立ちも境遇も違う人が私と同じことをしたからといって、楽になるとは限らない。私の経験を文字にすることで相手を苦しめてしまうこともある。私はそのことに気づくまで、自分の意見を相手に押し付けていたとも思った。また、相手の話に耳を傾け、相手の話を理解して労うことの重要性にも気づいた。

また、ボランティアを始めてしばらく経ってから、民間のカウンセラーの資格にも応募して、少しだけ講座を受けた。しかし、相手の話を理解できていないということで、途中で打ち切りになった。

そのときは、相談者への対応を急いで、状況理解がしっかりできていないこと、私が上からものを言っているという指摘をされた。その経験から、落ち着いて相手の話を聞き、危なくない時は、相談者の気持ちを優先することの大切さを学んだ。

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カウンセラーの資格講座を止めることになってから、相手の話を深く聞くことを心がけて、求められない場合は、自分の経験やアドバイスを相談者に話すことをしないようにした。相談者に私が味方であることを伝え、心理的安全性を相手に理解しもてらった上で相手の考えを尊重し、相手の気持ちに寄り添うようにした。また、相手からの評価が悪くても、私に悩みを相談してくれたことに感謝するようにした。
さらに、ボランティアの相談員だけのグループチャットもあり、そこで私が支援で悩んでいることも積極的に相談して、1人で抱え込まないようにした。アドバイスをくださる方が多く、私にはない発想もあり、とても参考になった。

そのボランティアは今はしていないが、私はその経験を通じて、自分の生き方は自分にしかできないと感じることができた。だから、私の言葉を相手に届けても心に響かないことがあることも知った。

その反面、文字で人を救えることもあると実感した。実際、私の担当した相談者で、「前を向けた」と伝えてくださった人もいた。

言葉は、目には見えないが、相手の心を動かす力を秘めていて、とても扱うのが難しいものである。だからこそ、言葉にするときはじっくり考えて丁寧に扱いたい。