言葉は私の武器だと思っていたけど、ある日怖くなった「ありのまま」
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私は基本的には、何でも言葉にしてみることだ。そして、それを表に出してみることだ。そう思っていた。
こういうことに興味がある。こういうことをやってみたい。こういうことが好き。
そうして、気楽なくらいにオープンに口に出していると、ふとしたところから、「それなら、ここに行ってみるといいよ」「こういうやり方があるよ」「じゃあ、一緒にやろうよ」。
そうして、するっと夢が叶うことが、往々にしてある。
それを、感じていたからだ。
それに、自分はこういう考えでいるのだ、ということも、まずは言葉にして発してみることだと、そうも思っていた。
相手とは考えが違っても、まずはこちらから心を開いて話してみる。そうしなければ、お互いが「違う」ということを、まず理解し合う、その一歩も踏み出せない。それは悲しいことのように、思っていたのだ。
感覚も思考も思想も、違うことは決して悪いことではないと、私は思う。だから、進んで人に親しみを持って、違いは違いとして、理解して認め合いたい。すごく子供っぽい表現のようかもしれないのだけど、そうして、自分が関わる人たちの間とだけでも、仲良く平和に生きていきたかったのだ。
が、それはもしかしたら、やめた方が良いことだったのかな……。私はただの、世間知らずの甘ちゃんだっただけかもしれない……。
最近、そうして今までの自分の考えに疑問を抱いて、悩むことが増えた。
「あるある」かもしれないが、この年頃(二十代後半)になると、特に、面倒見の良いおばちゃん世代の人によく聞かれる質問だ。
「あなた、彼氏は?結婚は?子供は?」
相手は近所のおばあちゃんだったり、仕事先のパートのおばちゃんだったり。
何も、本当に正直に、ありのままを答える必要のあるシーンではないことは、理解しているつもりだ。相手のおばちゃんだって、多分、軽い世間話程度のつもりなのだ。
それでも、こういう質問をされるとき、私はどうしても、居心地の悪さが隠せない。
「彼氏はいます。結婚とか子供とか、そりゃ考えるけれど……でも、何というか、そういうことではなくて……」
有り体に言えば、少なくとも私の方は、パートナーシップにおける紋切り型のような家庭観には、元々あまり興味がない。私はそもそもが、『クレイジー』と評されるタイプの人間で、世間一般だとかそういうことが、大体悪い意味で、いつもイマイチ、ピンと来ないところがある(彼は大変だろうな、とは常々思っている。いつもありがとう)。
けれど、単純に、大好きな人と家族になることに憧れる気持ちは、強い方かもしれない。紋切り型に興味はないが、紋切り型にはこだわらない、というこだわりもない。
ただ、この日本の法の中で生きていく上で、『家族』という法的な縛りは、もうどうしようもないほどに、抗いがたい、強大な権限であるのだということは、痛感する出来事があった。だからこそ、本当に大好きで信頼できる人と家族になりたいのだし、大好きな人と家族になるということは、真剣に、重いくらいにして考えていきたいのだし……。
これは、『私たちの』領域の問題なのだ。
誰に示さずとも、私が私の中で、私たちの間で、大事に理解していれば良いことだ。他の誰と意見が食い違おうが、そこで議論する必要も、無理に分かり合おうとする必要もない。
むしろ、下手にオープンにすると、余計な傷を二人で負う……。
そんなある日のことだ。
単発のアルバイトで数日間働きに行った先で、また、同じ質問をされた。
「あなた二十代?彼氏は?いるの。何で結婚しないの?」
相手は、バイト先の管理職の女性の方だった。またか、と一気に体が怠くなるような感覚に襲われかける。が、ずいぶん、ずけずけした物言いだな……と、怯む気持ちの方が先に出た。
相手は、ほんの数日の間の契約で、何とかお世話になっているだけの上司の方だ。歳も私より、ずいぶん上である。最近覚えた通りに、愛想笑いで交わそうとして……だが、そのとき私は、「待てよ」思わず立ち止まった。
「私はこのまま、ずっとこの質問をこうしてかわし続けていくのか?大事な大事な、私たちのことなのに?」
「あの、色々……仕事のこととか……」
何を明かすにも明かさないにも中途半端というか……しかもしどろもどろで、すごく下手な答え方でしかない。それでも、私にとって初めて、愛想笑い以外で、ほんの少しでも、ありのままを言葉に出したときだった。
そのときだ。
その女性の顔が、それまでと打って変わるくらいに、穏やかで優しいものになった。そして、「うん、うん」とばかりに、ただ頷いてくれたことが、今でも忘れられない。
数日間の勤務を終えて、そのバイト先を後にするとき、帰り際に、その方がTシャツをくれた。「私にはサイズが合わなかったから」と、そう言って、渡してくれた。
何だか、いらぬ深読みをさせてしまったような気もしないでもないが……多分、すごく気遣われたのだろうと思う。
ああ、変なこと言わなきゃよかったかな、と一瞬、後悔が過ぎった。それでも、嬉しかった。
本当の意味で、何かを伝えることも、それを受け止めることも、そうして言葉を通じて理解し合うことは、私が今まで考えていた以上に、ずっと難しくて、それに怖いことだった。
今は、もしかしたら必要なことでも、言葉にしない方を選んでしまうことの方が、多いような気もする。
それでも、言葉にしたからこそ、通じ合えることがある。それを、相手も喜んでくれることがある。
それを、忘れないでいたい。
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