宣言は私を知ってもらう機会に。宣言癖のある私の今年やりたいこと

宣言癖がある。これは別に今に始まったことではなく、物心ついた頃から色々なところであまたの宣言をしてきた。
たとえば、18歳の誕生日。部活で苦楽を共にした同期たちを前に、「絶対に志望している学科に入ります」と宣言した。大学受験に向かってピリつく雰囲気の中でこの宣言をするのは、絶対に負けてやらないという半ば意地の表明のようでもあり、逃げそうな気持ちに楔を打つようなものでもあった。
わざわざ10数人を前に言うことなのか?と問われれば、逃げ道を塞ぐというとても自分勝手な理由でその必要があったと答える。
無事に宣言通り志望している学科に入って、早4年が経過しそうだ。2025年になって、インターン先の上司の家で新年会をした。わたしはあと2年は学生をやるので、インターン先では引き続きお世話になる予定で、わたしに取っては未知の分野である経理の仕事もする予定になっている。
今年の抱負を問われ、日商簿記の取得を答えた。宣言である。ここで書いたらここでも宣言することになる。こうやって逃げ道を塞いで、やめられないように、どうにか明日を見据えている。
抱負とかそういうものも宣言しがちであるのはもちろんのこと、「会いたい」の宣言をすることも多い。ありがたいことに、基本的に「会いたい」ひとたちだけで構成された交友関係に恵まれている。他のひとからも羨ましいと言われる。これは「会いたい」を言葉にするようにしているからだと思う。
好きなら自分から「会いたい」と誘う、そう思わないならそっと距離を置く。「あなたと一緒にいる時間が好きだから、会いたい」をきちんと言葉にするようにしてから、わたしの人生は間違いなく輝きを増している。
広く浅く、の中に分類できる関係たちだって「会いたい」のだ。
ただ勉強やサークルやインターンの話をして食事を共にし、パーソナルな話はあまりしない浅さが心地よいことがある。背景が程よくぼやけていた方が話しやすいこともあると知っている。わたしの所属してる学科は職業と直結しているけれど、それを知らずに(もしかしたら知らないふりをして)一緒に楽しい時間を過ごしてくれるひとたちに感謝したことが何度もある。そういう時間が恋しくなって「会いたい」と思う。
そして、ある種無神経に「会いたい」と宣言している。
宣言することで、周りの人たちはわたしの行動の意図を多少なりとも知ることになる。ここはまだ自分の中でしっかり噛み砕けてはいないけれど、おそらくわたしはわたしを誰かに知っていてほしいから宣言している。
宣言することで、期待されたり応援されたり、この人はそういう人なのだとラベリングされたりする。
そのことを結構心地よいと思っている。わたしの持っている関係性のそれぞれの中にあるわたしの像に興味があるし、まだ関わっていない人がどんな像を描くのかも興味がある。ともだち100人、なんて言っている年齢ではないだろうけれど、とりあえず今年は「会いたい」と伝えられるひとを5、60人増やすことを、ここに宣言しておく。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。