ずっとオタクなのだが、昨年の一年で韓国のミュージカルが好きになった。作品も良いし歌も良いし俳優もかっこいいのだ。だけどずっと韓国語は話せないし、ミュージカルだって内容の理解はほとんどできていない。なんとなく見てなんとなく感じているだけだ。だけど好きなものは好きなので、楽しく観ている。

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好きな俳優もできた。恋愛的な意味の好きではなく、もっと純粋に、この人を応援したい!という好き、である。初めて彼の演技と歌を観たときに、本能的に(あ、私、この人が好きだ)と感じた。人間は本能の生き物なのだ。

韓国のウィキペディアのようなもので作品を調べ、彼のページに飛ぼうとして、ページが作成されていないことに気づき、絶望。色々とにかく調べて、うわあかっこいいなあすごいなあ観たいなあ、と思い、初観劇、初渡韓から2週間後、また渡韓した。思い返すと、あの時の自分は本当にイカれていた。

彼に自分の思いを伝えたいと思った。彼のことを名前以外何も知らないが、自分の出演ページがないということはそこまで有名ではないのではないだろうか。ファンも多くないかもしれない。外国人のファンもいる、あなたのことを応援していると伝えたい。その気持ちだけで、翻訳機を使って、手紙を書いた。

マチネを観たあとの、ソワレが始まるまでの2時間。カフェでケーキとコーヒーを注文して、何も食べず飲まず、必死に翻訳機に文章を打ち込み、形すら分からないハングルを書き綴った。もっと早く書いておくべきだった……! と思ったが、彼の公演を改めて観てから書きたかったのだ。

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出来上がった文章は、まあ読めないので良し悪しは分からなかったが、ハングルは私が見てもグチャグチャで、いくつも修正テープの痕があり、それはもう酷いものだった。今も思えば、本当なら「〇〇俳優様へ」と書くところを「〇〇お兄さんへ」と書いていて、思い出すだけで恥ずかしくなる。こんなに汚い手紙を渡してよいのだろうかと思いながらも、これを渡さなかったら二度と気持ちを伝えられないような気がして、ほとんど祈るような気持ちで手紙ボックスに封筒を入れた。

夜公演を終え、私は友人と夕飯を食べていた。俳優のSNSを見ていると、新しい投稿が上がっていた。見ると、私の手紙の写真がアップされており、「本当に嬉しいです!翻訳までしてくれて。この投稿を見ているといいですが」とメッセージがついていた。

私に対する返事だ、とすぐ分かった。手が震えて、持っていた箸を落とした。応援していることを分かってくれた。そのことがとても嬉しかった。いや、嬉しいなんて言葉じゃ表しきれない。これからも私は、この人を応援し続けよう、と心から思った。

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それから一年間、彼の出演作はすべて見に行った。やはり歌がうまくて、演技がうまくて、彼を好きになった自分はセンスが良いと思った。そんな中、彼と話す機会があった。脈は信じられないほど早く打っていて、緊張で手が震え、喉はカラカラだった。

「私、佐藤すだれです」
「あ! すだれ! いつも手紙をありがとう」

日本から来たこと、演技と歌が好きだということ、いつも翻訳機を使っているから文章が変で申し訳ないことをまくしたてるように話した。一年経てば、少しは韓国語が話せるようになるのだ。

彼は微笑みながら、いや、たまに苦笑しながら、私の話を聞いてくれた。そして、

「初めて外国のファンの方から手紙をもらったんです。特別嬉しかったですよ。それに、手紙の文章はいつもちゃんと読めています。心配しないでください。いつも応援してもらってどれだけ嬉しいか! いつも本当にありがとうございます」

と言ってくれた。

嬉しさを超えて、もはや困惑である。応援していることを一方的に伝えたいだけだったのだ。何がなんだか分からなくて、完全に固まった。伝えて良かった。そう思った。涙が出そうになって、早口で「大ファンです、明日も観ます」と伝えると、俳優から握手を求められ、ガタガタと震える手で握手をして、その場を後にした。

そんなこともあったが、相変わらずファン活動を続けている。毎回手紙を書いているし、その中には公演の感想と、応援している旨と、「翻訳機を使っているから文章が変かもしれません」という断りを、書いている。