切羽詰まったことがない人生。だから私はお金に興味が持てない

お金がない。私はお金がない。
私だってこんなこと言いたかない。
お金はある。正確に言えば、「好き放題生きるために必要なお金」がない。
「お金がない」と言うと毎度母に怒られる。「ないって言ってたらなくなるのよ」そうなの?
私は「お金を稼ぐ」ということが苦手である。
自慢ではないが、中学のときは3年間学年トップの成績、その地区では名前を出すだけで尊敬されるような高校に進学、現役で国立大学に進学、成績優秀なまま卒業、というまあまあな優等生人生であった。
なのにだ。紆余曲折あり、今はしがないフリーター(と呼んでいいのかもわからない)である。大学生のときに個別塾でアルバイトをしていた頃の方が稼いでいたし、今は公務員の夫にがっつり養ってもらっている。
数年前までは「結婚しても自立できる程度のお金は稼ぐんだ!養われるのは嫌だ!」などとぬかしていた。ため息が出る。
要領はそこそこいいはずだし、地頭も悪くない。結構気も利く。履歴書に書いても恥ずかしくない学歴。
あるとき真剣に考えた。なぜこんなにも稼げないのか。
色々な要因はあるが、1つ挙げるとするならば、「お金にあまり興味がない」ということだ。
最近よく聞くワード「ふるさと納税」「積立ニーサ」「投資信託」「イデコ」……。
正直何もわからない。これらについてのたくさんの本が出ていること、動画で解説されていることは知っている。私の周りは見渡す限りこれらを上手く活用しているようである。
どうしても興味がわかない。調べようと思わない。「普通に働いて給料をもらう」以外のお金の増やし方にどうしても手を出せないでいる。
さらに考えた。なぜこんなにも興味がわかないのか。
それは「今切羽詰まっていない」からである。「人生で切羽詰まったことがない」からでもある。
恵まれているのだと思う。物心ついた頃に両親が離婚して母子家庭になったので、めちゃくちゃ裕福だったわけではない。 でも、経済的な理由で何かを諦めたり失ったりした記憶はない。
もちろん全てが叶ったわけではないが、ここぞというときにはバーンとお金を使う母だった。特に子どものやりたいこと、夢中になっていることには、「子どもには贅沢すぎるでしょう」と言われそうなことも叶えてくれた。
そう、切羽詰まってないのだ。食費を切り詰めることもなく、光熱費を浮かせる工夫をすることもなく、「贅沢ではないが豊かなくらし」をさせてもらっていた。
そうして育った私は、「豊かではないくらし」ができない人間になってしまった。
だから、「野菜は高いから買わない」とか「パスタは安くてお腹がいっぱいになる」とか「風呂の湯をためない」とか「エアコンはできるだけつけない」とかができない。野菜はいっぱい食べたいし、家の中で凍えたくもない。まったく贅沢な人間である。
今は母ではなく夫が「豊かなくらし」をさせてくれている。夫は私に「もっとお金を使ってもいい」とまで言ってくれる。
なんだか優しくて幸せで「今はこれでいいかな~」と、自分はゆるく働きながら、相変わらず「ニーサ」のことを調べずにいる。
好きの反対は無関心だという。そりゃあお金は寄ってこないでしょうね。
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