一般的に医者というと何を想像するだろうか。難関な受験、長時間労働、激務などがあげられるが高収入も医師の大きな特徴だろう。故に、医者になりたいというと「お金をたくさん稼ぎたいから?」と聞かれることが多い。

どの仕事でも高収入には激務などの代償がつきものかもしれないが、医学生の知能をもってすれば大企業に入るなど必ずしも難しいことではないと思う。それにもかかわらず医者になることを選んだのにはそれ相応の理由があるはずなのだが、高収入だけ注目されるのは医学生の自分にとってどこか遺憾である。

◎          ◎

医学生の多くは平均よりも経済的に豊かな家庭に育ち、教育観念も経済観念も高いため塾通いや中学受験などを当たり前にできるような環境に恵まれてきた。一方で普通のサラリーマン家庭で育った人たちもいるので実家の世帯年収が学生間で10倍違うなんてこともあり、医学部内にも経済格差や金銭感覚の違いは存在する。

私の実家は社会全体で見たら中流で、贅沢はできないが生活には困らない程度に安定した暮らしを送ってきた。しかし、医学部のような場所ではその「贅沢」の基準が変わってくる。

受験を例にすると、受かればどこでもいいからと学費の高い私立を滑り止めとして何校も受けた人、私立の場合は学費の安いところに限定されていた人、受かったところで学費が払えないから最初から受験を諦めて国立1本にしていた人などがいる(医学部6年間の学費は国立は約360万円、一方私立は2000万円~5000万円である)。

しかも私の大学は地方だが新幹線1本で東京に行けるため首都圏出身の学生が多く、地方出身の私とは最低賃金や物価の感覚に大幅なずれがある。

生まれ育った環境で得た金銭感覚は誰のせいでもないのは承知しているが、自分よりうんと裕福な家庭で育った友人にあたかも一般庶民のような金銭感覚をもたれると無性に腹立たしい。バイト代を生活費や学費に回す必要のない自分もまた、世間から見たら恵まれた大学生なのだが。

◎          ◎

私が友人付き合いをするうえで頭を悩ませる原因のもう一つは「将来医者になって稼げるから今贅沢するのは許される」という認識である。

将来お金があっても遊ぶ暇がなくなるから今のうちに好き勝手しておいた方がいい、留学など自己投資をしておいた方がいいというのは正直合理的だと思う。しかし、今まで安定を好んで生きてきた私にとってこの考え方は難しい。

今は別に困窮しているわけではないが、贅沢できるほどの余裕はない。不測の事態に備えて多少の余裕を残しておきたい。バイトに精を出す私に友人や両親は疑問を抱くようだが、私は「今」余裕が欲しい。いつもらえるか分からない将来の年収1000万円よりも、「今」財布と心に余裕をもたらす1万円がほしい。

また、私は国境なき医師団に入って世界中の貧しい人たちを助けたくて医師を目指した。「今ここで買う飲み物1本は栄養治療食3食分」というのが頭をよぎると、お金を使おうとする気持ちにブレーキがかかる。お金を使えば口先だけの夢に呆れて自己嫌悪に陥る。

◎          ◎

きらびやかな将来へのイメージからは想像しがたいかもしれないが、医学生のお金との距離感はあまりにも人それぞれ過ぎて、しかも各々が自分が普通だと考えているために厄介である。けれども、本当に厄介なのはそれに気付かずに医者になってカルチャーショックを受けることかもしれない。