支払った後の経験を低く見積らない。お金を払うのは自分への信頼の証
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お金を払うのが好きで好きでたまらない、という人はまずいないと思います。節約系の情報をまとめた記事や本が根強く支持されているのは、「できるだけお金を使いたくない」想いを、誰しもがもっているからでしょう。
私も、お金を使うことがあまり好きではありませんでした。なくなるのが怖かったのです。
会社を辞めたばかりの頃、お金を払うことを極度に怖がっていた時期が、私にはありました。一時期完全な無職になったので、その感覚は自然だったとも思います。けれど、たとえそれが数千円であったとしても、お金を使うことにためらいが生まれ始めた時、私は違和感を覚えました。
もともと、見境なくお金を使うようなタイプではありません。けれど、会社員時代は時間がなかったため、誰かと遊びに行くことはほとんどなく、必要な物を買いに行く時間すらありませんでした。とにかく、お金を使う機会が少なかったのです。
でも、ひとたび会社を辞めると、残されたのは大量の時間。スケジュールを埋めるように沢山の誘いに次々応えるうちに、交通費と交際費が膨れあがってきました。
友人の誘いや欲しいもの、それら全てを手に入れようとすると、今まで使ったことのない額を支払うことになります。私は少しずつ、「お金を払う」ことが怖くなってきました。お金を使いすぎではないか、意味のある消費なのか……。貯金額が減ることに軽い恐怖を覚えるようになったのです。
でも、その恐怖心と真っ向から向き合った時、「お金を使うこと」は本来、怖いことではないのに、とふと思ったのです。もちろん、身の丈に合ったものを買うのが前提です。けれど、過度にお金を払う行為を避けようとするのは、自分が手に入れようとしているものへの期待の低さや、お金の稼ぎ手である自分への信頼の低さの現れのような気がしたのです。
まだ会社員だった頃、私は、ドイツ旅行に行ったことがあります。かかったお金は、50万円ほど。これを安いと感じるか高いと感じるかは人それぞれだと思います。その時の私には、50万円は「高い」ものでした。
旅行に行く前、私は考えました。こんなに高い額を払ったら、貯金が減る。それなのに、期待したほどの景色を見られなかったり、経験ができなかったりしたらどうしよう、と。
結論から言えば、この不安は的はずれなものでした。生きているうちに見られてよかったと思う景色に出会うことができましたし、一時的に貯金は減ったものの、生活に困ることなどは少しもありませんでした。
こんな経験をしたのに、なぜ「お金を払うこと」が怖く感じられるのか。それは、「このサービスやモノは、これだけのお金を払う価値のあるものだろうか」という周囲に対する疑いの心に加えて、「会社を辞めた自分に、これだけのお金をまた稼ぐことができるだろうか」という自分への疑いの心が生まれたからだと思いました。
たとえ数千円や数万円であっても手放すのが怖い。それは、またそれだけのお金が自分の元に入ってくるか分からないという自信のなさから生まれた感情だったのです。
けれど、そんな恐怖心を理由に、「お金を払うこと」を避けるのは、正しいことだとは思えませんでした。私が払おうとしているのは、自分が欲しいものや過ごしたい時間のためのお金。お金を払った先の経験の量や質を低く見積もるのも、そこで使った以上のお金を今後稼げないのではないかと、自分の能力を低く見積もるのもやめにしたいと思ったのです。
それからというもの、私はお金を払う時に「高いな」と思ったり、過度にお金を払うことを避けたりするのをやめました。もちろん、本当は不要なものや、それほど魅力を感じていない場所に行くためにお金を払うことはしません。けれど、お金を払う行為は、自分や他者への信頼の印でもあると思うようになったことで、少し、お金を払うことが好きになったような気がするのです。
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