不便だけどハズレじゃない、雪と幸せに生きる術を磨いてきた豪雪地帯

雪の季節になると、全国ニュースではしばしば故郷の見慣れた景色が映る。
2階に届くほど積もった雪、屋根の雪下ろしや雪かきに汗を流す住民、働く大人をよそに雪だるまづくりに興じる子供たち。
私の地元は全国屈指の豪雪地帯で2mの積雪は当たり前。多くの小学校では冬の体育はスキー授業となる。スキーといっても山を下るアルペンスキーではなくて、田んぼや校庭に積もった雪の上を走るクロスカントリースキーなのだが。通学路の歩道は雪で歩けなくなり、どこからともなく飛んでくる消雪パイプの水をよけながら車道の隅を列になって歩いた。
隣の市の中学校に進学するまで、私にとってこれが全国共通の当たり前の冬だと思っていた。
隣の市は地元より断然雪が少ないのだが、私以外にも周辺の市から通学する生徒が多かったため雪が多いのはみな慣れていた。家の前を除雪しないと親は出勤できないこと、雪で電車が運休になって学校に行けなくなること、外で体育の授業や部活ができないことなど、不便ではあったがこれが当たり前だった。多少の差こそあれ、結局みんな同じ環境。そう捉えていた。
雪国であることへの捉え方が大きく揺らぎ始めたのは、大学受験の面接練習が始まったころだった。
医学科には地方の医師不足を補うために「地域枠」という制度があり、これは卒業後特定の県で9年間働くことを条件に入学後毎月返済不要の奨学金がもらえるシステムである。医学部合格のためのねらい目とされることもあり、全くその県にゆかりのない人も受験してくる。
県の医療政策部の人が「観光感覚で雪を美化する県外出身の受験生が毎年一定数いて困る」とぼやいていた。
もし本当に観光感覚で県への愛を言い連ねる県外出身の受験生がいるなら、まずは消雪パイプの水を浴びてから言っていただきたい。雪国の苦労を何も知らないくせにニュースで見た綺麗な雪原やスキー場の景色だけで知った口を利かれるのは御免だった。
雪国のことを不便なところだと思っているつもりはなかったのに、ここでとうとう潜在意識が顔を出した。
豪雪地帯に対する意識がまたひっくり返ったのは大学に入ってXの閲覧を楽しむようになってからだった。
時々流れてくる知らない誰かのランク付けのような投稿に、「環境ガチャ」というものがあった。Sランクは東京や大阪、Aランクは名古屋、Bランクは仙台……というような誰がどんな基準で決めたかわからないランク付けの中で私の出身県はDマイナスというほぼ最低ランクだった。
また別の投稿には、「雪国はそれだけで人生不利」みたいな書き方をされていた。「ただでさえ都市圏から離れているのに冬には雪に閉ざされる可哀想な県」「教育機会が限られていて人生を制限されている」とも。
勝手に地元をハズレ扱いされて憐れみの目を向けられていることに苛立ちが募った。
雪国には、豪雪に苦しみながらも当然のこととして対処する「克雪」、雪を利用して生活文化に組み込む「利雪」、ウィンタースポーツなどで雪と親しむ「親雪」の概念がある。
雪に埋もれた田舎の生活は間違いなく不便だ。けれども、地元住民はその中で幸せに生きる方法を見出し築き上げてきた。地元を離れてもなお、ゲレンデが溶けるほどの熱い地元愛を抱いている。
もし環境ガチャに地元を当てはめるとしたら、SSランクの超レアキャラだ。レアなだけで強いわけじゃない、むしろ激弱。けれども、弱いことはハズレじゃない。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。