先人が決めつけた固定観念や古いルールで可能性を狭められるなんて
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「女性」=「ピンク」で紐付けられることは、今の世の中フェアじゃない。
そんな時代は、もうとっくに終わったと思う。
もしそんな風潮が、日本の頭が固いおっさん・おばさんに押し付けられるのなら、私は、「そんなの関係ねぇ~!」って、一言申してあげたい(笑)(笑)。
性別や年齢に関係なく、好きなものは大声にして「好き!!!」と言える社会であって欲しい。
性別に縛られる色なんて、自分を表す特別な色とは言えない。
個性を尊重されていない。
性別に関係なく、個人の趣向で「ピンク」が選べる環境であることが、個人の自由も尊重するし、「多様性」と謳ってる社会のあるべき姿であるべきだ。
「多様性」とか、「平等」とか、「自由」とか、綺麗な言葉だけが一人歩きをしていて、実際にはそれが尊重されないことには時々腹だたしさや窮屈さを、その綺麗な言葉から感じる。
例えば、ランドセルの色を選ぶ小さい男児の子どもに対して大人や店員が、「ピンクや赤は、かわいい女の子の色だよ!男の子は、カッコいい青とか、強そうな黒とかはどうかな」という会話のやり取りがあると、それは完全なる大人の押し付けだ。
それは、子どもの自由を全く尊重していないのではないかと思う。
そうして大人たちは、子どもの時から、その子の選択や可能性、自由を奪っているのと同等なのだ。
また、「私のときは、◯◯だったのよ」とか、「女の子/男の子はこうであるべき」とかいう古い固定観念はもう通用しないし、今の世の中に必要ない。
そうやって、小さい頃から大人に植え付けられた固定観念は、一生子どもの心に良くも悪くも刻まれ続けるのだ。そしてそれが子どもの判断基準になって、選択肢が限られてしまうなんてことも珍しくない。
しまいには、もしもそのレールから外れようものなら、とたんに「あなたは常識や一般と違う」と、レッテルを貼られて除外されるようになるのだ。
こうして、「非健常者」とか「異常者」と、社会が勝手なイメージや枠組みを作ってしまうのだ。
誰かも分からない先人が決めつけた固定観念や古いルールは、今の世の中にはもうフィットしない。古い固定観念やルールは、私たちの可能性や未来を狭めるだけで、良いことなんて一つもない。
誰が何色を好きだ!と選んだって、それが正義だし、正解不正解だなんて存在しない。
誰にもそのことについて、口出しされる筋合いはないのだ。
日本もそんな世の中であって欲しいし、もっと欲を言うならば、アメリカのようにそれが認められ、なんなら褒められるような環境であって欲しいと心から思う今日この頃。
誰もが性別や年齢に関係なく、好きなものは「好き!!!」と、本心から言える環境や機会が歓迎される社会であって欲しいと強く想うのだ。
誰しもが、その権利を持っている。
そう胸を張って言える自分であって欲しいし、周りも理解できる心を持って欲しい。
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