今日、1人暮らしの部屋に帰ってストーブをつけたところ、室温が6度だと表示された。
6度……。この数字はもうこの冬に入って何度も見てきたが、毎回引いてしまう。ドン引き。

余談だが、先日アイヌ民族の家(アイヌ語で言うとチセ)が再現されている観光施設に行った。
そこには「ポロチセ(大きい家)」「ポンチセ(小さい家)」などと看板が立っていて、木で組まれた家々が並んでおり、入ってみると異常に寒かった。中に暖房の一つも置かれていなかったので当然だったが、同行者が「○○ちゃん(私)の部屋も帰ったばっかの時これくらいだよね」と言い出した。

これまで気づいていなかったが、私の住む部屋は実質チセだったのだ。しかも狭いので、ポンチセである。

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大人になってから深く実感していることだが、寒さというのは心を蝕む。
私は生まれてから今までずっと北海道の札幌市で過ごしているが、寒さには未だに慣れない。今年で26度目だというのに。

つるつるの路面を必死に歩くとき、暴風雪に吹かれているとき。もうこんな土地に人間を住まわすべきではない、と考える。ここはエゾシカとかエゾリスとか、寒さに耐えられる構造の生き物専用の土地にするべきだ。なんとか計画を立てて、人類みんな納得出来るよう段取りして、他のあたたかいところに移動する……。そんな妄想をしてしまうくらいには、北の冬は辛い。

しかし、春になるとそのような思いは消える。
これは道民みんながよく言うことだが、北海道は冬以外はとても良い土地なのだ。人が多すぎることも無いし、ある程度のお店や施設も揃っている。札幌市内の地下鉄やJR駅沿線なら、アウトドア趣味の無い単身者であれば、車が無くても困ることはそれほどないと思う。人類大移動なんてとんでもない、素敵な場所じゃないか。雪が解けた途端、手のひらを返す。
札幌の雪が積もらないバージョン、みたいな地域があればいいのに。

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でもきっと、そういう土地があったとして、それを知ったところで私は移住はしない。札幌に住み慣れてしまっているから。単に愛着とか、そういう話ではない。
私は極度に地図が読めないため、今から新たな場所に住むイメージがつかないのだ。札幌は26年間暮らしてきた街だから、土地勘はある。分からない道があったとしても、ちょっと歩けば見知った場所に出ることは出来る。このアドバンテージを失った状態で1人の大人として暮らしていくというのが、私にはちょっと難しい気がする。

そう考えると、生まれ育つ土地が人生に与える影響というのはあまりに大きい。
東京近郊で生まれ育った人のなかにも、そのように思う人もいるだろう。旅行で初めて訪れた北海道、なかでも美瑛町のようなまちの雄大な自然に感動し、移住を試みる。

しかし慣れ親しんだ暮らしとのギャップの大きさに、次第に苦しさを感じるようになり……というのも、故郷が影響を与える例である。

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どちらにしても、難なく新たな暮らしを始められる人もいる。本人や同居家族の資質次第でもある。

どこの土地が恵まれているとは一概には言えないが、こうも寒い日が続いている間は、暖かい場所に生まれた方が幸せだったのでは……?とついつい考えてしまう。