「お金だけがすべて」はつまらない。適度な距離で豊かな生活を大切に

早く大人になって、たくさんお金を稼げる人になりたい。それが物心つく頃に抱いた私の初めての将来の夢だ。周りの同級生はケーキが好きだからパティシエがいい、とか野球選手になりたいと言っている頃、そんな現実的な願望を持っていた理由は、私の両親にある。
「お前に使うムダな金なんてないんだよ!」私が何か欲しい素ぶりを見せると、そう言ってよく怒鳴りつけられた。誰に食わせてもらってると思ってるんだ、言う事がきけないのなら生まれてから今までお前にかかった金を今すぐ返せ、といったような言葉は耳にたこが出来るほど浴びせられてきたので、早く大人になって誰にも文句を言われずに好きなものを手に入れる自由が欲しくてたまらなかった。
結局実家を脱出するまでの期間バイトしようが就職しようが私が自由に使えるお金は手にできる事はなく、家を出てからしばらくは貯金もないのでその日暮らしのような生活が続いた。
自由は手に入ったけれど、とても働ける状況ではない。突然熱を出して1週間寝込んでしまうような体調の悪さではせっかく雇ってもらっても仕事を続ける事は出来なかった。
今日食べるものにも困るような毎日で離れていった知人たちもいたけれど、私を気にかけて手助けをしてくれる人も少なくなかった。「金の切れ目が縁の切れ目」なんて言葉があるけれどお金では計れない優しさに触れたのは私の今後の人生で大切な出来事だった気がする。
それでもやっぱり、人は見た目で判断されてしまうと感じる出来事は多かった。自分では精いっぱいきちんとした服装のつもりで友達と出掛けたデパートのコスメカウンターで私だけいないかのように扱われたりしたのは一度だけではなかったのがその代表例だと思う。
確かにメイク用品なんて買う余裕はなかったから間違ってはいないのだけど「今のあなたにこんな煌びやかな場所は似合わないのよ」と思われている気がして勝手に傷ついてしまった。もちろん悪気があったとは思わないし私の被害妄想だと今なら分かるのだけど、お金の余裕は気持ちの余裕に直結するのでそんな出来事に直面する度にいちいち卑屈な気持ちになっていた。
家計簿をつけながら不明金が出るのが怖かったし、友達がせっかく誘ってくれてもお金の余裕がないからと断らなくてはいけない場面も多かったので、自分の生活面の余裕のなさに嫌気がさしていた。
今は体調が少し良くなって仕事も変わり、恋人とふたり暮らしをするようになって生活の質がだいぶ向上してお金の余裕も出てきた。何でも買えてしまうほどのゆとりはないにしても、選べる選択肢の幅は随分増やす事が出来たのと比例して気持ちの落ち込みも少なくなったなと思う。
お金だけがすべて、という人生はつまらないと思う反面、生活を豊かにするには欠かせない存在のお金。縛られすぎる事なく適度な距離感をもって日々楽しんで暮らしていけたらと思っている。家計簿とにらめっこする時も前ほど険しい顔にはならない。
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