私が小学6年生を迎える寸前の春、おじいちゃんが亡くなった。あまりにも突然のことで、私はその日ナガシマスパーランドに友達と出かけていた帰り道のこと。家に帰る方向とは真逆の祖母の家に車がどんどん向かっていくことに気づき、思わず母に聞いた。

「今日、おばあちゃんちでご飯とか?」

母はミラー越しに目も合わせず、「うん」と寂しそうにつぶやいた。

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祖母の家に着くと、ドアの前でこれだと派手だからと母にみつあみを手櫛でほどかれ、ぼさぼさの髪で嫌だなと思いながらも何かとんでもない事態になっていると察した。

「おじいちゃんが死んじゃったとか?」

母は私の質問に答えなかった。

家の中に入るとすぐに手前にある和室でおじいちゃんの亡骸が横たえられていることに気づいた。顔には打ち覆いがかぶせられていて、幼いながらにおじいちゃんが亡くなったのだと察した。
不思議に思ったのはその周りに散らばる枯れ葉、不可思議に覆っている首元のタオル。何もかもがちぐはぐで、不思議さだけを残した。

だけど、当時の私にはその理由を考えることも、答えを出すことも、ましてや理由を聞くこともできなかった。

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それから葬儀等を終えて、ようやく落ち着いた頃、お風呂場で父のすすり泣きがたびたび聞こえた。父親を亡くしたことによるショックは、相当なものだったと思う。

「父ちゃんはな、もっとじいちゃんを大切にしてやりたかった。もっと家に呼んでご飯とか行けばよかった」

父は寂しそうに、そのころから自分の感情を積極的に吐露するようになった。 

「ねえ、お父さん泣いてる」私が母にそういうと、母は寂しそうに、口元に指をあてて「しー」といった。私たちにできることは、見て見ぬふりをしてあげること。人はだれしも、泣きたくなる時があるのだと知ることしかなかった。

当時小学6年生だった私は、「大人の事情」とか「知っても知らなくてもどっちでもいいこと」とか、そういうものにとても配慮していたと思う。

それからというもの、1人になってしまったおばあちゃんの家に泊まることが増え、夜な夜ないろいろな会話がドアの向こうから聞こえてくる。子供はもう寝たからといって、会話に花が咲く、花が咲く。

聞きたくないことも、聞いてはいけないようなことも和室のドア1枚では筒抜けだった。私は何も知らないふりをして、翌朝「おばあちゃんおはよう」ということが常だった。

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今だから言えること。おじいちゃん、おじいちゃんはきっと寂しかったんだね。

最後に会ったのがバレンタインデーの日で、おばあちゃんが居酒屋のママだから、お店のお客さんからたくさんチョコをもらえるんだと孫の私と姉にたくさんのチョコをくれたのが最後だったね。また来るねと言ったとき、いつもより元気がなかったことも、あまりこっちをみてくれなかったこともなんとなく記憶に残っているよ。

だけど、おじいちゃんは私のことを孫じゃなくてもかわいいといっていたことを、それからずいぶんと時がたって知ったんだよ。おじいちゃんは、寡黙で、あまり多くを語らないところがあったけれどいつも優しかった。
友達と遊びに行ったときは、氷たっぷりの麦茶をそそいで、お盆にコップ2つを乗せてそっと持ってきてくれた。
カタカタとコップをゆすると麦茶が冷たくておいしくなると笑顔で教えてくれたよね。

おじいちゃん、私は来月結婚することになったよ。
おじいちゃん、もっと会いに行けばよかったよ。
おじいちゃん、おじいちゃんは1人なんかじゃなかったんだよ。