「もし百万円が手に入ったらどうしますか?」と問われた場合、私は即座に「貯金!!!」と答えてしまう人間である。
しかし、その答えだけにしてしまうとエッセイがこの場で終了してしまう。なので私は問いを以下のように少し変えてみることにする(唐突ではあるが…)。

「もし百万円を一日で使い切りなさいといわれた場合、あなたはその百万円の使い道をどのように決めますか?ただし、貯金はNGです」

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百万円を手にしたことがない私にとっては、百万円を一日で使い切ることが不可能であるかのように感じてしまう。百万円では新車を買うことはできないし(中古車を買うことはできるのかもしれないが)、旅行に行くとしてもホテル代や食事代で百万円を全て使い切ることはできないだろう。
一日で百万円を使い切るという行為自体どこか無駄遣いのような感じがするし、無理して使い切る必要なんてないように思ってしまう。それは私の金銭感覚から生じるものなのだろう。
「人生で買った一番高いものは何ですか?」と言われても、アンドロイドスマートフォン(2万円)である。
大きな金額を使ったことがないからこそ、百万円を使い切るという考えは私の中にないのかもしれない。しいて言うなら、ちょっと美味しいものを食べに行きたいな…と思う程度だろうか。

だからといってキャビアとかフォアグラとか、The 高級食材!という食べ物ではなく、アワビとかイセエビとかを食べてみたい気持ちがある。あとは世界中の美味しい食べ物を一日かけて集めてきて友達や友人たちと一緒にワイワイしながら食べるとか…そういったことが思い浮かぶ。
あとは最近ワインを飲み比べをしているので、美味しい少し高級なワインをみんなで飲みながら乾杯するのもいいな…とも思う。シャンパンをポーン!と開けて、クラッカーを鳴らしてお祭り騒ぎもしてみたい(ご近所迷惑になりそうなのでどんちゃん騒ぎは無理ではあるが…)。

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まあ、実際百万円がポンッと手に入ることはないので全て夢物語にはなるのだが…もし百万円を一日で使い切りなさいと言われたら、私はみんなと楽しむことができるように考えながらお金を使うだろう。

そうすれば私もハッピーだし、みんなも(おそらく?)ハッピーになれるはずだ。余裕がなくなることが多い世の中だからこそ、みんなでハッピーな時間を共有したいと思うだろう。
そのような考えにいたるのは、私の“幸福の基準”が関わっているのかもしれない。

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私はお金を持つことが必ずしも幸福であるとは思わない。お金がなくても幸せであると感じることが多いからだ。でも、一方でお金は沢山あった方がいいとも思う。このようにどこか矛盾を抱えている。
でもお金を持っている人が本当に幸せかどうかなんて本人にしかわからないし、私は大金を使う立場になったことがないからそのように思うのかもしれない。

……なんてことを思いながら、空から百万円が降ってこないかなーという非現実なことを少しだけ考えていた。