創作の世界に登場する「愛」というものは総じて壮大で、一片の歪みもない美しさを放っている。

思えば私は、日常にありふれていたものから目を背けて、気づかないふりをしていた。怖かったのだと思う。いつか壊れてしまう未来が来ることを。私にとって「愛」とは脆くて不確かで、とにかく胡散臭かったのだ。一年前までは、私には誰かを愛せる日は一生来ないかもしれないとさえ、思っていた。

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正直、今でも本当に愛について語れるのか、自信はない。21年の人生の中で、恋人なんてまともにいたことがないから。それでも私がこのテーマのもと文字を綴っているのは、内面的に大きく成長できたイギリス留学中に、気づけたことがあるからだ。コミュ障で人見知りのくせに、留学先で私は誰かを必要としていた。せっかく留学に来たんだから友達をつくらなきゃ、というある程度の使命感はあったと思う。幼い頃私は、全く喋らない子だったらしい。誰かといるより一人でいる方が好きだった。そんな私が、自分から歩み寄ろうとした。今までも自分なりに努力はしてきたけれど、言語や文化も違う彼らとつきあうのはわけが違う。慣れるまでに半年かかって、彼らも徐々に私を受け入れてくれた。 

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20242月14日、バレンタイン。授業が終わり、寮に帰ろうとしていたところを声をかけられた。建築学部の学生委員会がBritish Foundationに寄付する目的で、赤い薔薇とハート型のチョコレートを売っていた。その委員長をしている子がいつも一番に話しかけてくれる友達で、受付に立っていた。

イギリスではバレンタインデーは恋人や愛する人にプレゼントを贈る日だと聞いた。「どう?ちょっと買っていかない?」私は一瞬考える。チョコをあげられるような特別な人はいないけど、友達の頼みだし、と買うことに。彼女は「もちろん私へのプレゼントでしょ?」といたずらっぽく笑っていて、それでもいいか、いつも仲良くしてもらってるし、とそのまま彼女に渡す。すると彼女は、信じられないといった顔をして「ほんとに?ありがとう」とハグをしてくれた。温かい。触れているところだけではなく、心の芯から温まるような、これは一体何なのだろう?孤独だった私に声をかけてくれてみんなの輪に混ぜてくれた、彼女は私にとって特別な友達だ。本当に、チョコレート一つでは渡しきれないくらいの感謝をしたい。

ああ、バレンタインはいつも友チョコの風習にのっとって渡していたけれど、これが本当の「友チョコ」なのかもしれない。私は、友達と別れる際や感謝を伝える際に交わすハグが大好きになった。この後、スコーンとフラップジャックを一緒につくる約束をしてさらに仲良くなったのは、また別のお話。

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もう一つ、家族と離れて暮らすことで家族の輪郭がはっきりとした。自分で生活するようになって親のありがたみを感じられるなんてよくある話だが、実際にそれが起こたのだ。毎日の家事育児をこなしてくれていた母と、毎日遅くまで働いてくれている父、そして一緒に育ってなんでも共有してきたかげがえのない2人の妹。家族以外の人と過ごす時間が多くなって、普段は寂しいとは思うことはなかったけれど、ときどき家族と過ごした日々を思うと切なくなった。私は今、以前よりもずっと適切な距離感で家族と接することができるようになったと思う。

まだ私は、恋人に対する愛は分からない。この先、唯一無二の人に出会えるは分からないし、深い関係を築いていくことに抵抗感はある。その先のことを考えると不安が募るけれど。はっきりと自覚した友人への愛、家族への愛のように、明るい未来信じてみようと思う。私の大切な人たちが私に教えてくれたものが価値のあるものだということを、私は認めたい。自分自身の中に芽生えた感情は新芽の若葉のように、生き生きとしている。