長い間、私は自分の生き方や働き方に疑問を抱えながらも、周囲の期待に応えることを優先してきました。
真面目に働き、目の前の課題に全力で取り組んできた結果、気づいたのは、結局「ただ消費され、ポイ捨てされる」現実でした。それは、誰かの期待や社会の基準に自分を押し込めることで、自分自身を見失ってしまう過程でもありました。

そんな中で私は、一つの決意をしました。
肩の力を抜いて、もっと自分らしく生きていこう、と。

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みんなが「頭が良い」「仕事ができる」なんてことはあり得ません。
誰かが優れていると言われるためには、必ず比較対象が存在するものです。
そしてその比較は、必ずしも公正でも正確でもありません。
だからこそ、私はそのレースから降りることにしました。
他人と比べて自分を卑下するのではなく、私自身の存在をそのまま受け入れる。
それが、本当に自由で幸せな生き方だと気づいたのです。

自分を無理に変えようとする必要はなく、不完全であることを許す。
そこに新しい発見や自由があると、ようやく理解できるようになりました。
「みんなに愛されたい」「仕事ができる人だと思われたい」という欲望を手放しました。
そんなもののために自分をすり減らし、倒れるまで働く必要はありません。

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確かに、愛されることや評価されることには安心感があります。
しかし、それを追い求めることで本当に大切なものを見失ってしまう危険性もあります。
それよりも、「愛されなくてもいい」「仕事ができなくてもいい」と割り切り、とにかく生き延びることを優先する。それが、私にとって新しい生き方の柱となりました。
生きることは勝つことではなく、続けることだと理解したのです。

一時期、資格を取ろうと考えたこともありました。
それは、何かを学ぶ楽しさというよりも、自分に自信がなくなった証拠でした。周囲に認められたい、価値ある存在だと思われたい、そんな思いが自分を駆り立てていたのです。
しかし、よく考えてみれば、資格がなくても生きている人はたくさんいます。
そして、高給取りの人がいるということは、そうではない人もたくさんいる。
それでも、多くの人が人生を全うして死んでいきます。
結局、社会の評価や肩書きに囚われる必要はないのだと、少しずつ心が軽くなりました。

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物事を白か黒かで判断するのではなく、その中間にあるグレーゾーンを受け入れること。
それは、完全であることを目指さず、不器用である自分を認めることでもあります。
完璧を求める思考は、自分を追い詰めるばかりです。
だからこそ、曖昧さや不完全さを許容し、心の余裕を持つことが大切だと気づきました。
日々の中で、「まあいいか」と思える瞬間が増えるほど、心は軽くなり、笑顔も自然と増えていきます。他人に対しても有効で、他人に期待しない生活をしていると不思議とイライラすることがなくなります。

結局のところ、人生は生き延びた者勝ちです。他人の評価や社会の基準に縛られるのではなく、自分らしく生きることが大切だとわかりました。
無理に「できる人」を目指さなくてもいいし、愛されることを求めなくてもいい。
ただ、笑顔で日々を過ごしながら、自分を大切にして生きる。
それが、私の目指す未来です。
私が笑って生きることで、周りにも少しでも安心や温かさが広がれば、それで十分だと思えるようになりました。

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2025年、私はこの宣言を胸に、少しずつ自分らしい生き方を形にしていきます。
鬱になり、死のうと思ったこともあったけれど、とにかく生き延びればいいとわかった2024年。
2025年は、無理をせず、焦らず、私自身を受け入れて。
馬鹿な私、不器用な私、そのまんまの私でいること。
それこそが、私にとっての「幸せ」なのだと信じて歩んでいきます。

何があっても、自分らしさを守りながら、この先の未来をしっかりと生き抜いていきたいと思います。