「来年の抱負、『可愛く生きる』でお願いします」
「おけ」

わたしと彼の、2024年最後の会話だった。
数日後、「なんだったの、あれ」と言われた。馬鹿にしたような口調だった。

あれにはちゃんと意味があるんだと抗議していたら、「はいはい可愛いねー」と抱きしめられた。可愛いならいいやと思った。わたしはそういう基準で生きてる。

「ボブ似合うよね可愛い、ぱっちり二重で可愛い、背がちっさくて可愛い、話し方がふわふわしてて可愛い、小動物見てるみたいで可愛い」
ああ、わたしって可愛いんだ。
他人からの言葉でそう思えるとなんだか全部許せる気がする。だって、「可」「愛」って書くし。愛される存在でいるってとても大事なことだから。

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わたしの友人には、小さい頃から恋愛に興味がなくって、「1人で生きていくんだ」って腹を決めている子がいる。強いなって思う。ちょっと憧れる。他人からの愛を必要としないなんて、わたしには考えられないから。

もちろん、そんな彼女に惹かれる人間はたくさんいて、友愛はたくさん受け取っているんだろうけど。

1人で生きるって向き不向きがあると思う。例えばわたしは向いていない。

寂しい、って感情に人一番敏感だから。いつも他人軸で生きているから。悲しい時には誰かに抱きしめて頭を撫でてほしいし。映画を見て1人で泣きたくないし。料理を作るのも、お風呂を沸かすのも、部屋にお花を飾るのも、誰かのためがいいよ。
人間は社会的な動物ですって、現代文や倫理の授業でたくさん習った。だから組織が生まれて階級が作られる。1人で生きていける社会じゃないなら、わたしが1人で生きていけなくたって仕方ないのかもしれないね。

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でも、大事な人と一緒に暮らせていたとして。その人が急にいなくなってしまうことだってある。そんなことまで考えると、いっそ1人で生きていく方がマシなんじゃないかと思ったりもする。だって、大好きな人が死んじゃったらそれこそ立ち直れないだろうから。

でも、でも、最初から諦めて生きていくなんてそんな悲しい人生、わたしには似合わないと思うし、それこそ可愛くない。

可愛く生きるために何をすべきか考えてみる。それがわたしのすべきことだから。他人に愛されるために、自分を好きでいるために。
見た目の可愛さは停滞がほとんどだと思う。何かのきっかけで一気に可愛くなって、その可愛さが当たり前になって、一定になる。もちろん、見た目だけ良くなって中身が伴わなかったら意味がないし、見た目だけを追求できるほど暇じゃない。

でも、やっぱり、他人から見た自分も、自分から見た自分も、真っ先に目に入るのは外見で。じゃあ見た目も磨き続けないといけないのかも。

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じゃあまず、宣言1つ目。毎日お湯に浸かって、ボディクリームも面倒くさがらない。忘れてしまいがちなアイクリームも、まつげ美容液もちゃんとやる。下着もくたくたのやつは着ない。ジェラートピケのパジャマに似合う女性になろう。

メイクも同じものになってしまいがちだけど、毎月新しいコスメ買って研究する。お洋服も安いものを買ってすぐに着なくなるのはもったいないから、ウインドウショッピングをしてちゃんと自分の目で見てときめいたものを買おう。毎月の美容院もネイルもまつパも継続する。

宣言2つ目、内面について。まず愛嬌を強化しよう。いつものおどおどした挨拶じゃなくて、にこってするんだ。

教養もつけよう。毎日ニュースを読むことから始めよう。資格も取ろう。本も色んなジャンルを読もう。自分から学ぶ姿勢を崩すと、一気に自己肯定感が下がってしまうから。

一つひとつは、大したことがないもの。でもどれかをさぼってしまうから可愛いの停滞が起きる。
昨日の自分より可愛く生きるために、わたしは今日も頑張る。