「将来の夢は?目標は?」大学一年の後期が終わり、二年生の授業の履修登録を友達としていた時、このような話題になった。

私は自分の将来の夢や目標を言い出せなかった。自分が今後どんなことをしたいのか、どんな大人になりたいのか全く分からなかったからだ。

高校二年の時、メディア系の仕事に就きたいと思い情報メディアについて学べる学部に進学したものの、実際に学んでみるとなんか思っていたのと違い、興味はだんだん薄れ、その夢は大学一年の時には崩れてしまった。そもそも、メディア系の仕事に就きたいと思ったのも、当時、テレビやラジオに興味があっただけで特に明確な理由はなかった。

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昔から努力する前に無理かもとあきらめ半分で取り掛かることが多く、自分に期待しないようにしていた。大学受験も志望校を決め、頑張って勉強していたが、あきらめ半分で自分を鼓舞しきれず、志望校には行けなかった。

このネガティブな考え方は何かに向かって努力する際にはとても悪影響で自分の選択肢も狭めることになり、良いことなんて一つもないとわかっていた。だが、自分に自信がなく、周りのことを気にし、自分で自分の選択肢を狭めていたのだ。

そんな自分を変えたいと思い、大学では今までやったことのないことに挑戦しようと入学時に思っていたが、やはり今までの自分を変えることは難しく、なかなか挑戦できなかった。

アルバイトをする、サークルに入るなど新しいことはたくさん始めたが、これらのことは多くの大学生がやっていることであり、私の中では挑戦ではなかった。

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みんながやっていることは私の中では当たり前にやることであり、義務のようになっていた。決してそうではないのにアルバイトもサークルもやらなければならないこと、やるのが当たり前と思っていた。

その時、私は今まで自分からやりたいといったが飽きてだらだらと続けた習い事も自分で志望校を決め合格するために頑張った受験勉強も、義務のように取り掛かっていたなと感じた。

楽しくなくても義務だから続けなければならない、そのような考えを持っていたからすべて中途半端だったんだと気づいた。そして、このような考え方は他人と比べることで生まれたんだということにも気づいた。

自分の周りの環境の中でみんなが平均的に行っていること=義務だと自分の中で処理し、他人と比べることで自分を苦しめていたのだと感じた。自分が世間の平均値から外れるのが怖いからだ。

だが、その世間というのも自分がいる小さな環境の中であり、世界を広く見たら全然そんなことないということにも気づいた。そして、自分のやりたいことを周りと違うからという理由で諦めない人たちにあこがれを抱いた。

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そこから、私は一旦やりたいことをやってみよう、そう思った。周りとは比べずに、自分が楽しいと思うこと、義務と思わずにできることを続けようと思った。その結果、これからもっと突き詰めたい、頑張りたいと思うことを見つけることができた。

それは韓国語の勉強だ。なぜか韓国語の勉強をしているときは苦を感じず、中途半端に終わらせたくなく、義務感など一切感じずにやることができる。

そして、今では韓国語の勉強が影響して将来の夢を持つことができた。それをやることで自分の未来にどのような影響を与えるのかはわからないし、途中で後悔することもあるかもしれない。だが、ネガティブな考え方を捨て、周りと比べずに自分のやりたいことを見つけることができた自分を維持し、夢にむかって頑張りたい。