食べることは文化を知ること。留学先のパリで出会ったレバノン料理

パリで食べたレバノン料理の味が忘れられない。
大学時代、パリに留学した時の話だ。留学先の大学はカルチェ・ラタンに位置する。中世に建設された大学の外観、そして中庭に敷かれた白い敷石が、何世紀もの人間の歴史を物語る。
そこから東へ5分ほど歩いたところに、ムフタール通りがある。パリジャン的なスタイルを踏襲しながらも、庶民的な通りである。カフェ、ブラスリー、パン屋、八百屋が並ぶ中、それと同じくらいの空間を占めるのが、エスニック料理屋だ。中華、ベトナム、中東、もちろん日本料理もある。フランスからしてみれば、日本だってエスニックだ。
実際にパリの街を歩いてみると、特にベトナム料理とレバノン料理が圧倒的に多い。ベトナムもレバノンもフランスに支配されていた歴史がある。特にレバノンは、国家として独立した現在も、フランスとの関係が深く、二重国籍を持つ人も多いという。
そんなレバノン料理のバイキングのお店を、レバノンにルーツを持つフランス人に教えてもらった。
私は幼い頃から異文化に触れる機会が多かった。海外経験も含め、私の母の、海外に対する知的好奇心が旺盛で、よくいろんな国の料理を食べに行った。しかし、レバノン料理なんて日本で食べたことがなかった。どんな味がするのだろう。そもそもレバノン料理って何だろう。
お店に入ると、黒髪の、髭が濃く、黒目の大きい、アラブの血が入った店員が迎えてくれた。いかにもフランス人といった白人とは違う、彼らの見た目と、アラブ系独特の訛りが異国情緒を醸し出す。正午をまわると、学生や昼休みのサラリーマンなどがここを訪れる。観光客は滅多に目にしない。
緑、白、赤、黄色。カラフルな料理が10種類以上ガラスのショーケースに並べられていた。トマトとパセリを合わせたタブレ、ひよこ豆ペーストをカラッと揚げたファラフェル。知っている料理も並んでいて、それが私の脳内で「レバノン」と結びつく。お皿の真ん中にまずお米を、おかずはその周りに綺麗にのせていく。全部食べてみたくて欲張るが、残飯は10€のペナルティ。油断してはいけない。
まずはタブレから食べてみる。私にとってパセリは飾りである。だから普段は食べない。だけどこのサラダはパセリがメインだ。口の中に入れて噛むと、パセリの臭みがグワーッと口の中に広がる。それにドレッシングとトマトの酸味が効いて丁度良い。次にファラフェル。見た目はコロッケだけど、日本のパン粉とは衣が違う。なんというか、衣が粒粒していて、これがまたクセになる。全ての料理名は覚えていないけれど、全体的に味付けは薄く、さっぱりして、飽きが来ない。肉は使わず、野菜や豆を使ったヘルシーな料理。イスラームの習俗に即した食文化なのだろう。
このレバノン料理屋には、一人で一度、友達を連れて二度行った。
私は一人で外食に行くのが好きだ。特にこんな異国情緒あふれる料理であれば、お金をかけずに旅をした気分になれる。それを友達と共有できるのはもっと楽しい。好き嫌いがあると、食べ慣れない料理に一歩踏み出してみるのには勇気がいるが、食べることはちょっとした異文化体験にもなる。友達のその一歩のきっかけを作ってあげられるのは楽しい。中東と聞くと、どうしても紛争など悪いイメージが付きまとうが、そこにはその国独自の料理があって、文化があって、何気ない日常が広がっているはずだ。
フランスは移民が多い国である。特に首都・パリは文化の集結地。フランス国家を象徴する伝統的な建物が目立つ一角で、ひょっこり構えるレバノン料理店。人種、宗教、国家。違うものを持つ人との共存。違うルーツを持つ人がいれば別の美味しい料理を共有できる。そう難しく考えずに、とりあえず食べてみよう!
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