「またこれか」。食卓に並ぶ献立に、つい文句を垂れてしまう。

完璧主義な母が唯一、適当なのが料理だった。
手持ちのレシピは少なく、夕食はたいてい出汁や醤油、砂糖などでほんのり味を付けた野菜の煮物。食べ盛りの高校生にとって味気なく、腹が満たされなかった。
切った食材の大きさも調味料の量もバラバラ。同じ料理を作っているはずなのに、毎回、味が違うし、どこか惜しい。幸か不幸か、グルメな父の血を受け継ぎ、食に人一倍こだわる私の口に合わないこともしばしばあった。

事情は理解している、だけど母の圧に耐えられなかった

高校生になってアルバイトを始めると、自分で稼いだお金で友達とファストフード店に立ち寄ったり、コンビニで買い食いしたりしてから帰ることが多くなった。食卓についても、食べ物が入る胃の容量は、半分ちょっとしか残っていなかった。
「また外で何か食べてきたんでしょ。せっかく作っているんだから、お母さんの気持ちも考えて」
「だって、美味しくないから」
反抗期真っただ中でも、さすがに言えなかった。
中学3年生の時に両親が離婚し、女手一つで私と妹を育てる母は、時間にも心にも余裕がない。ご飯に手間はかけられない。痛いほど分かっていた。それでも、健康に気遣って総菜は一切使わず、三食、手作りする。
疲れているなら手を抜けばいいのに、と思うが、毎晩必ず3品は用意する。毎日のように不満をぶつけてくる母の圧に耐えきれず、私は家を空けることが多くなった。

一人暮らしで母と離れ、大変さを体感。感謝がこみ上げた

母との溝が埋められないまま、就職を機に一人暮らしを始めた。「食べなければいけない」呪縛からようやく逃れられ、解放感でいっぱいだった。
営業の仕事だと、外にいる時間が長い。昼食はほぼ毎日、外食になった。交友関係が広がるにつれて、夜、参加する飲み会も増えた。一人だと作るのは面倒だし、何より、いろんな飲食店で初めての味に出会えることが楽しかった。
調味料や油がしっかり使われた料理たちは、美味しさを提供する代わりに、健康を奪っていった。体重は半年で5キロ近く増え、体の不調も多くなった。

危機感を覚えて、自炊に目覚めた。栄養バランスを考慮しながら、冷蔵庫にある食材を使ったレシピをスマートフォンで検索し、書かれた順序で調理する。考えることも、調べることも、作ることも、仕事で疲れた頭と体は負担でしかなかった。
母の大変さを体感し、感謝がこみ上げた。
「家のご飯が食べたい」。初めて、“おふくろの味”が恋しくなった。

優しい味の肉じゃがから伝わってきた、母の本当の姿

とはいえ、社会人になってから帰省する度、母に何が食べたいか尋ねられるが、思い浮かばなかった。何せ、かつては嫌々食べていたから。野菜を使っていて、薄味であればいい、というのが本音だったが、ある時、とっさに「肉じゃが」と答えた。
久々に、母と囲む食卓には相変わらず煮物が並んだ。要望した肉じゃがだけ、ほかのおかずの倍、皿に盛られていた。牛肉に玉ねぎ、にんじん、じゃがいも。甘めの出汁でじっくり煮込まれた具材は、ほんのり薄茶色を身にまとっている。
「いただきます」
箸を入れると、ほろっと崩れるじゃがいも、味がしみ込んだ肉に玉ねぎ……。箸を進めるにつれ、口の中が優しい味でいっぱいになった。

「美味しい」
今まで思ったことのなかった感覚。自然と口から出てきた。
「よかった。私、昔から料理苦手だから」
予想外の返答だった。子供のため、家事や子育てを完璧にこなそうと一人で闘ってきた母の本音を、初めて垣間見た気がした。
私は何も分かっていなかった。過去の自分を振り返ると、胸が痛んだ。

それ以来、肉じゃがが好物になった。定食屋や居酒屋でつい注文してしまうし、自分でも作るようになった。
だけどやっぱり、母が作る肉じゃがが食べたくなって家に戻る。いつも味が違っていてもいい。これからは、完璧じゃなくていいから。