長野の郷土料理におやきというものがある。小麦粉を練った皮に具材を包んで蒸したり焼いたりしたものを言う。
私は母がそちらの出身だったので、祖父母が手作りしてくれたそれをたらふく食べて育った。一つ一つラップに包んで凍らせたおやきが毎年クール便で大量に届いたのを、冷凍庫から一つ二つ取り出してチンして食べるのだ。

ずいぶん長い間、それが朝ごはんだったりお昼ごはんだったり、おやつだったりした。

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中の具はお茄子か切り干し大根&人参、あんこの3種類が定番で、巷でよく聞く野沢菜は我が家の味ではなかった。お茄子は丸茄子を輪切りにしたのが入っていて、皮の薄い所からお味噌の色が透けて見えるのが大好きだった。

そして見た目だけでなく食感の違いも素晴らしかったが、お店のおやきは皮の厚みが均一だから、そういう楽しみ方は出来ない。

時々あんこにお餅が一緒に入っていることもあった。これまた絶品でまた食べたいとねだったが、後から知った話では祖父が赤福をぶち込んでくれていたらしい。どうりで数が限られていたわけだし、とんだパワープレイだと思う。美味しくて当然だ。

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祖父母の家に行った時も、必ずおやきは出てきた。でもある日のおやきは、皮も厚いしお味噌が甘くて食べ慣れない味がして、「どう?美味しい?」と聞かれた時に「とっても美味しい!」とにっこり笑って嘘をついた。そう答えるのが正解だと思ったからだ。

でもその後お昼寝していると祖母と母の会話が聞こえてきて、そのおやきがお店のものだと知った。母は「だからか!お味噌を変えたのかと思った」なんて言っていた気がする。

毎年大量のおやきを作るのは、祖父母にとって重労働だったに違いない。祖父母がおやき仕舞いをするのはそれよりだいぶ後になってからで、絶対にお店のおやきに負けたからじゃない。それでもあの時、正直に答えておけば良かったなと今でも思い出す。

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ところで、おやきの他に“めしじゃのこ”というのも同じように作ってもらってよく食べていた。
おやきより知名度が低いのか、ネットで調べてもなぜか出てこない。小麦粉とお米を1:1で混ぜて作った皮に、具は味噌を入れる。それを油で焼いてあるから、なかなかのギルティーフードだ(そういえば我が家のおやきは蒸して出来ているので、それをさらに油で焼いて食べることもあった)。
お米は餅米ではなかったと思う。だから熱々のお米でないと上手く小麦粉と混ざらない。水などのつなぎは一切使わず、直接手で捏ねていた祖父の勇ましい姿が目に浮かぶ。

祖父の作る天ぷらも忘れられない。イカの天ぷらは祖父の得意料理で、スーパーでは手に入らない特別大きなイカをどこかに頼んで用意していた。
たっぷりの油で揚げたら美味しいに決まってるが、祖父の天ぷらは最小限の油で揚げていた。なのに美味しいから不思議なのだ。冷めても美味しいのが尚のこと不思議で、お土産に持って帰って次の日に食べてもずっと美味しかった。

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祖父が亡くなったのはコロナ禍の最中で、私はお葬式にも出られなかった。田んぼの芝刈り機で腰を痛め、治療中の歯でご飯も上手く食べられず弱ってしまったらしい。ずっと自宅で療養を続けていたが、最後は病院で息を引き取ったと聞いた。

コロナ禍で、例年なら叔父が行っている作業を自分でやろうとして腰を痛めてしまった。歯医者で「次回新しい歯を入れましょうね」と言われてその後にコロナ禍が来てしまった。どこまでがコロナ関連死と言えるのかはわからないが、もっと生きられた命だとは思う。

会えなくなってしばらく経った祖父の訃報はあまりに非現実的で、元気な姿ばかりを記憶していることは幸せかもしれなかった。それでも夢に出てきて言葉を交わして、目が覚めると涙が出てくる。

もう一度食べたい。