昨年11月のある日の夜、私は仕事終わりに東京都国立市の居酒屋に入った。私は現在国立市に住んでるわけではないが、その日は仕事でとてもとても理不尽なことが起こり、職場と自宅が同じ町にあってまっすぐ帰りたくなかったため、あまり考えずに電車に乗って国立駅で降りたのだった。

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まず、ビール。それからツナとトマトの野菜に、ごぼうの天ぷらに、ステーキに、お供に白いごはんetcと、居酒屋なのにまるで定食屋のように次々と料理を注文していったら、店のオーナーに「今日採れたマグロ、よろしければどうぞ」と言われ、マグロもいただき。あと、黄緑色の甘い豆もいただいた。あと何点か。2020年~2022年に中野区に住んでいたときによく行ってた居酒屋でも、定食みたいに注文するから常連客の一人に「定食屋だと思ってるでしょ」と言われたことがあった。いやあ、だって、おいしいんだもん。住宅街にひっそりと建つ、小さな居酒屋の料理。

私は日本ならところかまわず一人でどこでも行ける方な気がする(というかそういうふうになった)からあまり気にしてなかったが、後から思えば小さな町の、ほとんど地域の人しか入らない小さな居酒屋に、突然20代の女が一人で入って、オーナーはたぶん最初、なんて声かければいいのか戸惑っただろう。でも「自分は秋田県出身で~」とか言ってくれた。「秋田県、私も先月行きました!」となって、「今日は何でここへ?」と聴かれた。もぐもぐしてたから言葉を濁したような回答になってしまったが、あまり詮索されなかったのでそれはそれで居心地がよかった。

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先日、小中学校の同級生が主催する、食のドキュメンタリー映画の上映会を観に母校の中学校に行った。
その子は昔から頭がよくて(作文の質がずば抜けていた)、手先が器用で、学級委員長で、お母さんがバリキャリだった。成人式のとき、彼女が私を中学のLINEグループに招待してくれたのにその年の冬休み、私はスマホの目覚ましを止めるときにスマホを落としてしまい、画面に白い線が入って完全に壊してしまった。だから各種アプリはリセットとなって、小中の人とはそれきりだった。

しかし大学4年のとき、就職説明会で偶然、別の小中の同級生(男子)と再会した。なんと、同じ大学だった!それから何回か飲みに行ってたが、その友人は昨年8月の終わり、睡眠薬を大量に飲んで自死してしまった。

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上映会後、自殺してしまった同級生の話も少しした。「OT(男子)も確か演劇やってたよね」とOSちゃん(上映会主催の同級生)が言った。そう、そう。OTは演劇をしてた。私は残念ながら観たことが無かったが。観たかった。続けていれば、私が以前実感した「失敗を演じることで自分の生き方を肯定」をもっと出来たのだろうか。昨年10月に私はその地元で――OTもOSちゃんも育った町で――白い彼岸花を発見した。白って私はいままで観たことが無かった。これは何かOTからのメッセージなのだろうか。私は雄のライオンにはなれないが、これからは舞台に立ってOTの分もしっかり生きるべきなんだなと、改めて思った。

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上映会後のトークショーで、地元の農家さんが、かかりつけ医ならぬ「かかりつけ農家」を持つことが、非常時にも平時にも活きてくるということを私は聞いた。あの晩私が国立市でごはんを食べたのは、 “生”をいま一度、実感したいと無意識に思ったからじゃないか。風邪なら病院に行って薬をもらうだろうが、薬で一日の理不尽を解決する代わりに、私は国立市に行って色とりどりのごはんをもりもり食べた。なぜ国立だったかというと、いま国立で踊っているのだが、国立で踊っていることが、私と日本社会をつなぎとめる確固とした事実だったからだ。社会人になって文字通り、初めてリアル世界でスポットライトを浴びた場所。

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国立でもりもり夜ごはんを食べた次の日、私は通常通り出勤した。その後、昨年12月にお弁当箱を買って生活のリズムを作った。私にとって食は、かかりつけ農家のようでもあり、生活のリズムを保つものであり、生きている実感をかみしめられるものだ。それは実際に国立で踊りはじめて、ごはんを食べに行って身をもって経験したことだからこそ、言える。