「可愛いね」「大好きだよ」

自己肯定感が皆無だった高校生のときの私が一番欲しかった言葉をくれたのは、親よりも年上のおじさんだった。

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自分に価値を見出せなくて、死んじゃいたいと毎日思っていた当時の私は、愛情に飢えていて、自分の壊れそうな存在を誰でもいいから抱きしめて欲しかった。ただ、周りにそんな欲望を言えるはずもなく、私は発散場所としてネットを選んだ。ネットでは、#裏垢JKや#病み垢女子とつけて呟くだけで、いろんな人がいいねをしてくれて、ダイレクトメールを送ってくれて、構ってくれた。真っ暗な自室で私はネットでのコミュニケーションに溺れていった。学校にも家庭にも居場所がなかった自分にとっては、自分の価値を感じられる唯一の居場所だった。

だが、そこにいる人たちは異性ばかりで、性的な会話をダイレクトメールでしてくる人も多い。性的な会話をしてくる相手には40代や50代などの親と同じ世代の大人もいた。今ではすごく後悔しているが、相手に自分の体の写真を送ってしまったこともあった。たとえ相手には悪意や下心しかなかったとしても、性的な価値を差し出すことで構ってもらえたり、優しくしてもらえるのが当時は本当に嬉しかった。

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行動はエスカレートし、認めてほしくて愛して欲しくて実際にネットの人と会ってしまうこともあった。酷いことをされたり、言われたりしたこともあった。体も心も危険に晒し、自傷のような付き合い方ばかりをしていた。ひとりきりになった時には、してしまったことへの罪悪感で死にたくなることもあった。だが、ネットで知り合った異性と会うのをやめられなかった。寂しさを埋めようとしてネットの人に会うと、承認や愛情を求めているのに傷ついてばかりなのに。満たされず寂しさが深まるばかりなのに。それなのに心身を傷つけるようなことをまた繰り返してしまっていた。同級生が学生生活を謳歌している中、私は高校も辞めてしまい自分のことを好きでもなく大切にしてくれるわけでもないおじさんに依存していた。

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私はこんな思い出したくもない10代後半を過ごしたが、今ではメンタルも落ち着き、闇の思春期を抜け無事大学生だ。大学では同世代の友人と話したり、塾でバイトをしたりなど、以前の自分からは考えられないほど「普通の女子」として過ごしている。ただ、あの高校時代の記憶や感性は今も私の中に居座っている。

もちろん、大学の授業などで思春期の心理を学んだり、バイト先で子供と触れ合う中で、あの頃の周りの大人がいかにおかしかったかがわかった。だが、異性の言葉や行動で自分の価値を測ろうとする気持ちはいまだに残っているのだ。今では、メンタルのために一線は越えないように気をつけながらもパパ活をしている。そこでの男性は甘い言葉をかけてくれ、また食事やデートをするだけで安くはないお金をくれる。

「高校生の頃と根本は一緒だ。やめよう」と思う自分がいながらも、それによって自身の価値を実感し「私はこれだけしてもらえるのだから、安売りをせず、自信を持とう」と思う自分もいるのだ。あの頃のように、心身ともに自分を傷つけすぎることはなくなった。だが、いまだに異性への依存は治せていない。せっかく手に入れた「普通の女子」を大切にしたいはずなのに、人には言えない形で愛情や承認を異性に求めてしまうのだ。