「それくらい自分で取りに行きなよ」体が強張る。私の初めての反抗

「それくらい自分で取りに行きなよ」言った。言ってやった。体が強張る。私の初めての反抗だ。
私は小学校低学年の頃、田舎に住んでいて、広大な自然を駆け回れる環境にありました。その上、近所には男の子ばかりで、彼らと一緒になってそれはもうやんちゃに遊んでいました。
私と男子達のグループの中には、高学年の男子もいました。大抵は優しく面倒見の良い人ばかりでしたが、特によく遊ぶ年上の子がひとり。その子はまるで「ボス」のような男子でした。何かと低学年の私たちに命令をして、自分勝手なガキ大将。何か言いつけられる度に、私たちは不満を感じつつも言うとおりにしていました。
小学校1、2年生から見た男の子の高学年ってとても強くて、怖い存在だったんです。しかも田舎の狭いコミュニティ、そこでその「ボス」に嫌われることの恐怖は言わずもがなでしょう。こんな状況絶対間違っている、別に「ボス」は偉いわけじゃ無いのに、そんな思いがぐつぐつと胸の中で煮えていました。でもそれを言えない自分、空気に流される自分、怯えてしまう自分、それに一番やるせなさを感じていました。
もともと私は、これが欲しい、これがやりたいといった要求を口に出すことも少なく、NOを言えないタイプでした。しかし、ある日のことです。いつものメンバーで遊んでいる時、低学年の私たちしかいないのをいいことにいつものように「ボス」は命令をします。いつものつかいっぱしりです。おもちゃだか、カギだかを遠いところから取ってこい、といった感じの内容だったと思います。積もり積もった「ボス」と自分自身への不満が限界に達して、変えたくて、変わりたくて、「それくらい自分で取りに行きなよ」と声に出していました。頑張って絞り出した言葉、頭は真っ白。それでもはっきりと、相手を見据えて言いました。
「は?」と、ボスの声。そのあとははっきりと覚えていませんが、そうやって命令しないでというような言葉を言って、足早にその場を立ち去りました。ボスが横から何か話しかけながら追いかけて来ました。もう私はいっぱいいっぱいで、返事をする余裕も顔を見る勇気も残っていませんでした。でも、ボスは段々しょげていっていました。今まで誰にも反抗されなかったのか、私が反抗するのが意外だったのか。
家に帰って私は母親に泣きつきました。母親は私の反抗を肯定してくれて、またボスだった彼と顔を合わせてみるよう励ましてくれました。翌日会ったボスだった彼は、私に謝罪をしてきて、それ以降は態度も変わって、ちょっと気が強いけど優しくて頼れる、そんな人物であったと思います。彼が態度を改めてくれたことももちろん嬉しかったですが、それ以上に意見をはっきり伝えられた自分、流されずに状況を変えることが出来たということが何より誇らしかったのです。
拳を握りしめ、思い切って口にした反抗の言葉を口にした瞬間もその後の対立も確かに怖かったです。でも、理不尽な状況に声を上げることが出来た自分に後悔はしていないし、相手の心を動かすことが出来ました。
大きくなってくると、空気だとか立場だとか権力だとか様々な重しが反抗の声を、もはや気持ちさえも押し潰してしまうことが増えていきます。それでも、気持ちを押し殺すことはせず、当時の勇気ある行動をとることが出来た幼き日の自分のように、理不尽に対して声をあげられるようになりたいものです。
こんなのおかしい、間違っている、辛い、そう感じる状況があるならば、きっと同じように賛同してくれる仲間がいるでしょう。思わぬカウンターをくらった相手は態度を改めるかもしれません。過去の勇気を出した私に背中を押してもらいながら、自分の気持ちを大事にして、状況を好転させるための一歩を踏み出せるようにありたいです。
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