可愛いの基準は私が決める、そう決めてからピンクへの拒絶感が減った

私の母は大変、少女趣味な人だった。
ピンク、レース、フリル、キラキラ。
ありとあらゆる「可愛い」が大好きな人で、私は幼少期から彼女の着せ替え人形として生きていた。
それが悪いとは言わない。彼女にとって、娘に可愛い格好をさせることは喜びだったから。でも、私は内心、似合わないのにな、と幼いながらに思っていた。
母の選んだ服も、髪飾りも。彼女の思う「可愛い」を濃縮したような、華奢で可憐なものばかり。私を飾り立てるそれらが窮屈で仕方がなかった。
そういうものを身にまとって外に出ると、周囲の大人に「可愛いね」と声をかけられるけど、その「可愛い」は「私が」じゃなくて、「私という母の作品」が、というふうに聞こえた。
いつも、母が髪を結うと、髪飾りにきつく巻き上げられた前髪が痛くて、でも痛いと言えなかった。
私の髪を編む彼女の手は、いつも楽しそうだったから。
小学校中学年になると、学校で使う裁縫セットや彫刻刀は、水色や黒を基調にしたものを選んだ。
良く言えば可愛くて、悪く言えばぶりっ子なピンクより、誰にも媚びないすっきりとした色が好きだという自我が芽生え始めていた。
母は不満そうだった。
「もっと可愛いのにすればいいのに」
彼女がポツリとつぶやいたその一言を今でも忘れない。
あなたと私の「可愛い」は違う。そう思っていた。でもそれを言語化できるほどまだ成熟していなくて、母の機嫌を悪くしたいわけでもないから言わないでいた。
気づけば、私は彼女の思う「可愛い」をまとって、がんじがらめになっていた。
自分の見た目を自分で選べる歳になってからは、私の嗜好は彼女のそれと真逆なのだと気づいた。
興味を惹かれて手に取るものは大抵、黒、紺、グレー。明るい色は好まない。その代わり、靴下で少しビビットな色を入れたり、帽子やカバン、ピアスでアクセントをつけたりするのが好きだ。
母が絶対に着せてくれなかった、シックな色がその人本来の良さを引き立ててくれるものだと思っている。口紅も赤系統のものが好きだ。もともと目鼻立ちがはっきりした顔には、柔らかいピンクは似合わず、赤い薔薇の花びらのような鮮烈な色が映える。
女の子はピンクを好むもの。
柔らかで綺麗なものが好きな生き物。
そういうふうに社会からあてがわれることにずっと違和感があった。
私の母はいわゆる「定型」の人で、社会のイメージの通りに可愛いものが好きで、それに違和感を持たず生きてきた人なのだと思う。
でも私は、いわゆる女の子らしさとか、「女の子なら、こういうもの好きでしょ」という暗黙の了解、押しつけに賛同できない側で。
可愛いは押し付けられるものじゃなくて、自分で感じ取るものだから、私が可愛いと思うものは自分で選んで生きていきたいのだ。
でも最近やっと、ダスティピンクとか、くすんだ色のそれなら、身につけてもいいかなと思うようになったのはすごく進歩だと思う。
最近は、髪の色を明るくして、アイブロウをモーヴピンクに変えた。ブラウンよりも今のヘアカラーに馴染みが良くて、気に入っている。
私が可愛いと思うものは私が決める。そう意識づけをするようになってからは、生きるのが前と比べて随分楽になったし、以前ほどピンクへの拒絶感がなくなった。
ピンクのキラキラした可愛いものたち。少女のような可憐な色。
私は私らしくいるために、いつも遠くから眺めているけど、あなたのこと、嫌いではないよ。
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