被災経験は感動ポルノじゃない。「あの日を忘れない」より大事なこと

精神科に入院している時、火災を想定した避難訓練があった。毎年火災なのか、様々な災害想定をローテーションしているのかは分からない。しかし、病棟内で隠れて喫煙している患者がいて問題になっている最中だったからか、看護師さんの真剣さは鬼気迫るものだった。
病院の名誉のために言っておくが、看護師さんたちは病棟内喫煙に対して、ものすごく頑張っていた。だが、現行犯でないと個人に対する具体的対処ができないため、病棟内での隠れ喫煙は続いていたのであった。
私は入院しているだけあって避難訓練する元気などない。だが、よぼよぼと起き上がり、よたよた歩いて避難し、訓練に参加した。私が死ぬのは構わない。だけど、そうやって死んでもいいからと避難しようとしない人を助けようとして、看護師さんが死ぬのは耐え難い。あってはならないとさえ思う。だから這ってでも避難するんだ。ということを避難訓練の様子を聞いてきた入院患者に伝えたら「面白いこと考えるのねぇ」と言われた。不安が強い患者なので、それ以上は言わなかったが、面白いもクソもない。
そうやって避難しようとしない人を助けようとした人が震災の時、どれだけ津波で死んだか。あの日を忘れないとか言っているが、私は教訓以外は忘れても良いと思っている。教訓を次の災害時に活かして、二次災害を防いでほしい。
だが、災害を扱う時、お涙頂戴の感動ポルノとして扱われることが多い。そして次に災害が起こると、また二次災害も起こる。まるで人類が新たに遭遇する悲劇的な出来事かのように報じられるその二次災害は、ちょっと前の別の災害時にも発生しており、けっこう話題になって報じられている。我が身に降りかかるまでは、遠い世界の他人事なんだろうか。教訓が活かされないのは、災害に関する話を教訓としてではなく、感動ポルノとして扱っているからではないか。
私はもうすぐ高校生という頃、大きい地震に遭った。大きい地震で大きい津波も起きた。卒業式での別れが、数時間も経たないうちに永遠の別れになってしまった人もいただろう。卒業式がまだの人は、卒業式どころではなくなっただろう。中学校卒業式の当日、前日での被災。そんな私たちの学年の悲劇的な出来事は、大人にとって格好の餌食になった。中学校卒業式の時に震災の学年だと伝えると、年下から「その代でしたか」と感心したように言われた。けっこう年が離れているのに、一体、何をどう伝えられているのか。こうして私たちは大人たちが語る感動ポルノの一部にされ続けた。まだ、現在進行形かもしれない。
成人式で、震災で家族を亡くした新成人はいないかとわざわざ聞いて回って、血眼で探すテレビカメラ。今、思い出しても反吐が出る。現実を感動ポルノに使わないでほしい。感情的な拒絶が深まれば、語られるはずだったことが語られなくなる。伝わるはずだった教訓も伝わらなくなる。防げたことも防げなくなるだろう。
そんなわけで私は震災のことを話すのも、聞くのも、見るのも嫌いになった。そうやって嫌いだと言い切れるのは、高校の先生の発言が大きい。
震災後まもなく、その先生の初めての授業中のことだった。授業の途中、ふと思い出したように「あぁ、そうそう」と先生は板書を止めて振り返った。黒板の左下に板書している途中で、小さく縮こまりながら振り返っていた姿の妙な滑稽さを今でも覚えている。「あなたたち、糧にしようとか思わなくて良いからね」と言われた。突然で何のことか分からなかった。そして「あの震災は経験しないで済むならば、しなくて良い経験だった」と先生は言い切った。突然のことにシンとしている生徒たちに「大変だったね、入学おめでとう」とほほえみ、板書を再開した。
乗り越えよう、頑張ろうと言われがちな時期だったが、災いは災いでしかなかった。とんだ災難にストーリー性や感動を持たせられても、すごく困る。そんな中での先生の発言こそ、糧となった。後にも先にもこんな風に言ってくれた大人は先生だけだった。
先生のような人もいるのだと分かっているから、私はこうして時々、震災のことを話せるのだろうと思っている。
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