「そこの車、停まってください」

気仙沼の高速道路を降りた直後のことだった。

◎          ◎

私のせいだ。

自分のしてしまったことに気づいて、背筋に冷たいものが走るのを感じた。何のことか分かっていない前部座席の母と妹のわかなはきょとんとしている。

「後ろの方がシートベルトをしていなくて……交通違反になります」

後部座席には私と荷物だけ。ようやく意味がわかった二人は怪訝な顔でこっちを向いてきた。

「すいませーん」

焦って泣きたくなる気持ちをおさえて、ヘラヘラと笑顔を作りながらシートベルトを締めた。でも、もう遅い。母の車は高速道路の脇に誘導されてしまった。

「なっちゃん……なんで……職場で怒られるよ……」

ため息をつく母に、私は謝り続けることしかできなかった。未成年の私は何の責任も取ることができない。私の罪を、大人である母がすべて被るんだ。母の顔を見たら、申し訳なさで胸が締め付けられた。ぶわっと涙が溢れ、止めることができなかった。

◎          ◎

警察官のお兄さんは、後部座席で大号泣している私に少し戸惑いながらも、母に免許の減点と罰金はないことを告げた。

母は、車が再び走り出してからもしばらく泣いている私に、「言わなかったお母さんも悪かった。次から気をつけよう」と宥めてくる。それが本心ではないことは分かっている。本心はさっきのため息だ。きっといつものように、私が「足手まといだ」とか「死にたい」とか言い出したら、母には面倒なんだろう。

わかなは、呆れたような目でこっちを見てくる。以前、「いい大人が苦しんでいる姿って、見てて不快だから、看護師にはならないことにした」と言っていたのを思い出した。シートベルトを締めず、母に全責任を負わせ泣いている姉の姿は、さぞ惨めに映っているのだろう。

あんたにわかるわけない。ずっと自分勝手に生きてきたわかなに、私の気持ちが分かってたまるか。

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大学生になって、わかなが高校の授業に行けなくなったことを聞いた。母は遠く離れて暮らす私の大学生活を気にかけながら、わかなが高校を卒業できるように、常に不安と戦わなければならなかった。夜中まで起きているわかなを寝かしつけ、翌朝起こし、疲れ果てていた母の姿を思い出す。

わかなはそんな母の苦労はつゆ知らず、ヘラヘラして、母に暴言を吐いて、泣き喚いて。怒りたくて泣きたいのは母の方だ。私はそんなわかながずっと大嫌いだった。だけど――もしかして、わかなも何かに苦しんでいたのだろうか? そう思うこともあった。

◎          ◎

自分勝手で無責任。

妹だけじゃない。たとえば授業中に寝ている奴もそうだ。親が払ってくれている学費がどれほどなのか、考えたこともないのだろう。私の周りはそんな、自分勝手で無責任な奴らばかりだ。

「真面目すぎるんじゃないの」

こんなことを人に話すと、だいたいこう言って笑われる。

違う。あんたたちが無責任すぎるんだ。
今まではそう心の中で思っていた。

でも今は私もそう思う。真面目すぎるから、あのとき泣いたかもしれない。

ひと通り泣いたあとで、私は友人のLINEを思い出していた。
――人の辛さは人によって違う。

そうだ、わかななんかに、私の辛さが伝わるはずないんだ。自分勝手に生きていたあんたに。

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「ごめんね、私のせいで迷惑かけて」

交通違反のことを思い出すたび、私は母にそう言う。

帰省した時、わかなが同じことを言っていたのを見た。

わかなが高3を迎える前の春。運動会の役員決めで、ダンスが好きだったわかなはダンスリーダーを目指していて、母もいろいろなダンスの動画を見せて応援していた。しかし、投票の結果、人望のない妹はクラスで1番人気な女子に大差で負けた。

帰ってきたわかなは、「わっかのせいでごめんね」そう言っていた。
わかなが授業に行かなくなったのは、それからだった。

そんな記憶に思いを馳せながら、全部あいつが自分勝手だって決めつけるのも、ちょっと可哀想かもな、なんて思った。人の辛さは人によって違う。

私ならへっちゃらでも、妹はそうでないかもしれない。逆も然り。
妹や周りの人間だけが自分勝手で無責任だと決めつけている私こそ自分勝手で、妹の気持ちに対して無責任なのかもしれない。

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「ごめん」

母と妹と久しぶりの3人のドライブ。
流れる景色の向こうに、小さくつぶやいた。
私の心の中で、ほんの少しだけ、何かが変わった気がした。