LINEの返信が億劫になる。既読無視は冷たいと思われるかもしれない。スタンプだと味気ない。「了解」の2文字も突き放したような感じがして嫌だ。

こんなとき、AIが代わりに返信をしてくれないかなと思う。冷たいとも素っ気ないとも思われない適度な温かみのある文章を、私の代わりに作ってほしいと思う。試しにchatGPTに聞いてみようか。

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誕生日プレゼントの選定は難しい。ハンドクリームやリップクリームが無難に思われがちだが、いろんな人からもらっていて飽和状態のときがある。化粧品は好みがあるし、食べ物はプレゼント感が薄いような気がする。

相手の情報を入力したら自動で最適なプレゼントを提案してくれるAIが開発されたら、私は間違いなく多用するだろう。

AIに頼めばなんでもやってもらえるような気がしている。日常生活における様々な場面で、私じゃなくてAIが考えてくれればいいのにと思う。そうなったらラクだなあと思う。

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でも、本当にそんなAIが登場したら困るような気もする。私の思考のすべてをAIがかわりにやってくれるようになったら私の存在意義が薄れてしまう。私が私でなくてもよくなっていって、私はまるで私という面の皮を被った私ではない何かになってしまう。それは怖い。いや、怖いだろうか。本当に怖いと思っているのだろうか。案外それでもいいと思っているような気がする。そもそも私が私であることの証明なんかする必要がなくて、する方法もわからないのに、思考の一部をAIに委ねたからと言って私が私でなくなることなんかないのではないだろうか。AIを使っていても使っていなくても、私は私ではないかもしれなくて、私は私なのかもしれないのだから。

AIをうまく使う、AIを賢く使う、AIと共存する、そんな言葉をよく聞くようになった。適材適所ということなのだろうか。依存しすぎないAIとの向き合い方を求められている。同じ人間が生み出した人間よりもはるかに賢い人工知能にいろいろなものがとって変わられてしまう。いつか私という存在もAIにとって代わられてしまう。

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私はそれが嫌ではない。賢く付き合っていけたらいいなとは思う。それが出来たら一番いいと思う。でも、賢く付き合うことが出来ないのなら、自分の思考を丸ごとAIに変わってもらいたい。日ごろの嫌なことも苦しいこともめんどくさいことも私の代わりに考えてほしい。脳みそにAIを埋め込めるようになったら真っ先に埋め込みたい。

それは私が今の自分に期待していないことの表れなのかもしれないし、希望がないことの証明なのかもしれない。悲しいことなのかもしれない。でもそんなネガティブに捉えなくても、私が今の私よりももっと賢く、効率よく生きていけるようになることだと捉えたら、そんなに悪いことのようには思えなくなってくる。

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だから、普段の様々な思考の場面でAIに頼るのはきっと悪いことじゃない。今はなれていないから味気なく感じて何となく不快感を感じているけれど、慣れたらこのAIとの付き合い方が当たり前になって、AIの思考に頼る私の思考も悪いものではなくなるのだと信じている。