「ていねいで細やかな仕事=女性」?いつの間にか抱えていた偏見

私はフリーランスで、いくつかの会社と契約して仕事をしている。ある取引先に「圭」さんという方がいた。メールやチャットでのやり取りはとてもスムーズで、言葉遣いもていねい。時折季節や流行の話題を混ぜるなど、コミュニケーションにも細やかな気配りが感じられた。仕事の進行も的確で、自然と好感を抱いていた。
私は、圭さんのことを「女性」だと思っていた。「圭」という名前は男女どちらにも使われるが、私の周りでは女性の名前として聞くことが多かったこともある。しかし、それ以上に私の思い込みを決定づけたのは、圭さんの仕事ぶりだった。メールの文面には柔らかさがあり、育児をしながら遠方で働いている私に対して気遣いが伝わるやり取りに、ささいなことまで配慮をする人物像をイメージしていた。これらの要素が、私の中で「女性らしい」と結びついてしまったのだ。
しかし、ある日、オンライン会議で初めて圭さんと顔を合わせることになった。画面に映ったのは、落ち着いた雰囲気の年上の男性だった。私は一瞬戸惑い、驚いた。何かが違うと感じたのは、私の中に「圭さん=女性」という先入観があったからだ。
その瞬間、私は自分が二つの無意識のバイアスを持っていたことに気がついた。一つは、「圭」という名前を女性的だと判断したこと。そしてもう一つは、ていねいで細やかな仕事をするのは女性が多いという思い込みだった。
もちろん、私は意識的に性別による偏見を持とうとしていたわけではない。日々の仕事の中で、多くのていねいな対応をしてくれるのが女性であることが多かった経験、そして女性は育児やリモートワークに理解があるという思い込みが、知らず知らずのうちに「ていねいな対応=女性」という固定観念を生んでいたのだろう。
しかし、現実には、細やかな気配りや誠実な仕事ぶりは、性別とは関係なく個人の性格や考え方によるものだ。圭さんは、男性であっても、相手への配慮を忘れず、気持ちのよい対応をしてくれる人だった。そこに性別は関係ないのに、私は無意識のうちに性別と結びつけていた。
この経験を通じて、私は改めて「個人としての尊重」の大切さを考えさせられた。人を性別や名前といった表面的な情報だけで判断するのではなく、その人の行動や考え方に目を向けることが何よりも重要だ。仕事においても、日常生活においても、その意識を持つことで、より多様な価値観を受け入れられるようになるのではないか。
また、自分の中にある無意識のバイアスに気づくことができたことも、大きな学びだった。私たちは、知らず知らずのうちに多くの先入観を持っている。性別だけでなく、年齢や職業、出身地──こうした要素が、私たちの中で「こういう人だろう」と決めつける材料になってしまうことがある。しかし、それが相手の本質を見誤る原因になることもあるのだ。
圭さんとの出会いを通じて、私は自分の中にある固定観念を少し手放すことができた。そして、人を属性ではなく、一人の個人として尊重し、向き合うことの大切さを再認識した。この気づきを大切にしながら、これからも人との関わりを深めていきたいと思う。
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