言わなくても伝わる言葉なんてない。「好きだよ」という言葉の重さ

あまりにも普遍的な、単純な、言わなくても伝わるだろう的な言葉ほど、その時には言うそぶりだって見せずにいて、そのあとしばらくの時間が経過した後に「言っておけばよかったなあ」とひとりでばつの悪い気持ちに苛まれてしまうのはなぜだろう。
例えば親や兄妹などの家族に対しての「ありがとう」とか、恋人に対しての「好きだよ」とか。
特に恋人に対しての「好きだよ」なんて、もっぱら「言わなくても伝わるだろう」の対象にされがちで、さめざめ枕を濡らしている方もいらっしゃるのだろうと推察します。
そして、その「言わなくても伝わるだろう」とうぬぼれていた側の人間のひとりとして、代理として謝りたくも思っています。本当に心から好きです。
かつてのもう顔も思い出せないような恋人に、私は非常に好かれていた。このことを自信をもって言えるのは、やはり何かにつけ「好きだよ」と伝えられていたからなのだろう。無論、付き合うとなった時も相手からのゴリ押しに折れてしまったからである。
付き合った当初「まだ、あなたのことを好きかどうかはわからないよ」とあきれるほどサムイ言葉を吐いていた。今考えると、相手もなんやかんや若さにより後に引けなくなっていただけなんじゃないかと思う。でも正気に戻らずに一心不乱に私を好きでいてくれた。
そんな殿方とはなんだかんだ五年という長い月日をすごしていた。五年間も家族の次に大切な人として君臨されると、さすがの私にも愛情が湧く。全然タイプじゃない見た目でも、愛らしく可愛らしく感じてくる。たまに私の好みの服装をして待ち合わせに現れたものなら、世界で一番格好いいのではないかと思えてくる。
良くいえば心優しくおおらかで、悪くいえば気弱で優柔不断な性格だってなんの問題もなかった。それが私の性格と衝突しない最良の気性であると思っていた。そして何よりも、いつも「好きだよ」と伝えてくれていた。
そんな人の好意にあぐらをかいているうえに、私も若さゆえの照れがあり滅多なことで「好きだよ」なんて口にすることはなかった。彼は気弱な性格だからか私に「好きって言ってよ」と訴えてくることもなく、付き合った頃思春期だった私たちも社会人になり、過ごした歳月など関係なく疎遠になりお別れした。
今更未練などないが、彼と別れた後もいくつかの恋をしてわかったことがある。好意を相手に言葉で伝えるということは思っていたよりも……いやかなり……というか最優先で……必要不可欠だということだ。
私たちは言葉で気持ちを伝える生き物で、テレパシーで伝えられたり、色や形が変わることもない。求愛のポーズとかダンスなんてものにもあまり馴染みがない。言葉にしないと、好きという気持ちは伝わらないもの、らしい。
お互い恋人同士だね、と理解し合っていても、「好きだよ」の言葉なしでは「どうして付き合っていたんだっけ?」となる、らしい。このことを私に言葉で教えてくれた元恋人には、大きな感謝を伝えたことは想像にかたくないだろう。しかしながら、後出しジャンケンのように「好きだよ」を伝えたころには、時既に遅し、であった。
あの頃「好きだよ」と言わない私と長く過ごした彼はどんな思いだったのか計り知れない。しかも恥ずかしいことに、別の人に同じことを繰り返し再び別れを経験することとなった。
言わなくても伝わる言葉なんて、それ以外の伝える方法を持たない人類には存在しないのかもしれない。ましてや愛の言葉だし、言って減るものでもない。むしろいえば言うほど、愛は増えていくかもしれない。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。