波乱万丈。今日まで歩んできた私が人生を四字で表すとすればこれに尽きる。

そんな私は幼少期の頃から一人が好きだった。親友はハスキーのぬいぐるみのチョビとピリ。物心付いた時から自分の空想の世界に耽ける、所謂ひとり遊びが大好きだった。

歳を重ねても尚、それは変わらなかった。“友達”と呼べる存在は確かに居たし、煩わしいと思うこともさほど無かったが、一人の空間になった瞬間、何故かホッと安堵する。それが当たり前になっていた。

“家族”や“友達”と言う存在は確かに居た、でも何故か心が休まる感覚とは程遠い感覚がそこにはあった。だからこそ“一人”が好きだった。

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しかし次第に“一人でいること”と“孤独でいること”の境目が私の中でぼやけていった。誰と居ても仮面を被り過ごすことが当たり前になっていった。

記憶の奥底にある大切にされた記憶や愛された記憶は錯覚だったのではないかと思う程に。
日に日に心が荒んでいく足音を感じていた。愛されたいと大切にされたいと、生まれて来たことを肯定されたいと子供のように泣く心に蓋をし、無視をして、私は孤独を好む変わった人間を演じて来たつもりだった。

「ずっと苦しんできたんだね」。中学三年の頃に言われた友人からの一言。私の蓋を開けて全て見抜いた様な、彼女のそんな一言。その場は上手く誤魔化したつもりでいたが、ずっと心に引っかかって取れない靄。そんな感覚とは反対に安心する心。
それから私はぽつりぽつり、心の内を打ち明けるようになれたのだと思う。
一人で居ることと孤独であることの違いを幼いながらに理屈ではなく、心で理解したのはあの瞬間だったろう。

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寒空の下の酔った母の温かな手の温もりや明け方の祖母の背中の温もり、私が通ると窓から顔を覗かす叔母の笑顔、いつも寄り添ってくれていた姉の優しさ、荒んでいた心を溶かしてくれた友人たち。
孤独だと思っていたのは私だけで、いつも私の周りには誰かが居たはずなのに、孤独に慣れていない私の隣には、いつも誰かの体温があったはずなのに、それに気付けなかった惨めで哀れで馬鹿な自分。仮面なんて必要なかったんだよってあの頃の自分を抱き締めてあげたい。

今の私は、決して幼い頃自分が思い描いていた人生は歩めていない。でもあのまま仮面を被っていたとしたら私は壊れてしまっていたと思う。

弱さを見せることが必ずしもその人間の弱みになる訳では無いこと、弱い自分を、あの雨の中泣きじゃくっている子供の頃の自分を抱き締めてあげることが出来た時こそ、強くなれるのだと、今は思う。

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真っ直ぐに決められたレールを歩むことが、世の中では正しいとされているのかもしれない。でも迷って、行き止まって、引き返して、模索して、また進んで、そんな不器用なりの歩み方でしか得られない大切なものも確かにそこにあって。不器用な私にしか進めない道が必ずあると信じている。