LINEで3回、インスタグラムのDMで1回、Twitterの裏アカDMで1回。
これは私が“親友”に書いた下書きの回数だ。下書き、という事は、その言葉はどれも彼女に届いていない。

「久しぶり、元気?」という8文字と人気のキャラクターが扉から飛び出している、可愛いスタンプを送るだけ。
たったそれだけが、やっぱり今日もできない。

しかも相手は親友で、口論をしたわけでもなければ、同じ男性を好きになって気まずくなった訳でもない。
中学1年で同じクラスになってから、高校生・大学生になっても数か月に1回は会って近況を報告していたし、夏のお祭りやクリスマスなど、デートコースのような遊びも何回もした。

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私より人生経験も恋愛経験も豊富で、学校と塾が世界の全てだった私にとっては、彼女から聞く、少しませた体験談が、とんでもなくキラキラして見えた。
ほんの少しの羨望と、顔を真っ赤にしながらケラケラ笑う彼女への尊敬はどんどん膨らんで、「大人になったら、絶対に海外旅行に行って豪遊しよう!」と居酒屋チェーンのカウンター席で、エイヒレを食べながら誓い合ったような気がする。

就職のタイミングで私が東京に来た瞬間にコロナウイルスが蔓延し、私は(きっと彼女も)一人での新生活に慣れるのに必死で、旧友に連絡ができなかった。
そうして、丸3年が経とうとしている。

この理屈では説明できない不思議な話をすると、人はきっと「お互いに実は苦手な所があったんじゃない?」「本当に親友だったの?」と困ったように笑いながら、私に言うだろう。私だってそう思う。

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生きる事が少し苦手で、たまらなく臆病な25歳の今の私は、多分どれだけ酔いつぶれたとしても、彼女にLINEやDMを送る事はできない。それでも不思議と心は穏やかで、それはたぶん彼女と過ごした時間に、その時間以上の濃さの、大切な思い出をくれたからなのだと思う。

彼女と過ごした10年間の、お腹がよじれるくらい笑った放課後の教室や、恋愛が上手くいかなくて、辛口の日本酒を浴びる程飲んだ夜を、ドライフラワーのように綺麗なまま、ずっと大切に抱き締めて生きていきたい。

これから先、どちらからも連絡する事がなくて、少しずつお互いの存在は薄れていくかもしれないけれど、今の私を作った学生時代の、一番キラキラしたひと欠片は彼女だから。

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こんな未練たらたらのエッセイを書いていると、まるで親友が大変な状況にあるように見えるが、彼女は全然元気だし、SNSの投稿によると今日は朝から美味しいパンを食べに行っているらしい。

多分これから先も、彼女のインスタのstoryの閲覧欄には私のアイコンが一番上に現れるはずだけど、そうやって、たまに一瞬私の事を思い出してくれたら、それでいい。

そしてもし、何かの弾みで彼女とまた話すことができたとしたら、「久しぶり、元気?」という少しぎこちないやり取りの後に、「あのね、こんなこと書いてたんだよ」って、この記事を送って読んでもらおう。

たまらなく彼女が恋しかった事が、言葉を通して伝わる事を祈って。