色メガネが映す姿も真実。ギャップを目にした時人は新たな学びを得る

性別、職業、学歴、年収、家柄、出身、恋愛、外見、健康など枚挙にいとまがないほどに、人をジャッジメントしカテゴライズするには最適なたくさんの項目がある。
全てを「クリア」している人なんて、果たしてこの世に居るのだろうか?
メディアに出てキラキラしているような人だってどこかしら欠点があるはずなのに、私たちは彼ら彼女らをどこか「完璧」だと勘違いしてしまう。これも一種の色メガネだろう。
私生活で本当にサラダボウルばかり食べているのか、毎日トレーニングを欠かさず自己成長ばかりの日々を生きているのか。そんなの分からない。ブランディングの妙技かもしれない。
書き物をし始めてようやっと気付いたことだが、人の興味関心を引くのは大体最初にあげたような事柄である。みんな平気で善良そうな顔をして電車に乗って生きているけれどSNSやネットで盛り上がる話題にしても売れる小説のテーマにしても、日常生活ではなかなか話せないようなドロッとした事柄が注目を集める。
反対に、ポジティブなことや日常の些細なことはさして大きな話題をかっさらうことはない。セレブリティが不倫していたとか隠し子がいたとか、ゴシップ的な方に流れるのは川の流れのように当然なことなのかもしれない。
玄関のドアを開けて外に一歩出ると、自分が色メガネをかけていたんだなと思わされることが多い。
すごく明るくて悩みなんかなさそうな人が実は過去に身近な人を亡くして沈んでいた時期があったり、大人しく内向的っぽい人が夜の経験豊富で浮気性だったりする。
そしてお金がなさそうに見えて投資で稼いでいたり、お金がありそうに見えて財布の中身はすっからかんだったりというパターンもある。
だから、第一印象や上辺だけではその人のことをこうだと判断するには材料が足りない。というか、その人の深奥へ入り込むことに成功したと思っていてもそれは侵入者の思い込みに過ぎないのかもしれない。
簡単に「あの人は○○だから」という括りで終わらせてしまうのは、早計ではないだろうか。
私という人間を他人が色メガネで見たら、きっと普通に幸せそうな女性としか目に映らないだろう。
それなりに欲しい物は手に入れられているし、家族も恋人もみんな健康で可愛がってくれている。言語化する能力やファッションは人に褒めてもらうことが多い。
でも自分で見た私という人間は持病や障がいが複数あって、学歴もなくて職歴もない。貯金二十万円。異常に見た目にコンプレックスを持っている。いつも他人が羨ましい。車も運転できなければ心を開ける友人もいない。
どちらの見え方が真実なのか?
おそらく両方とも真実なのである。
他者が私を色メガネで見た場合も、己で裸眼で見た場合もどちらも正しいのだ。
みんな様々な側面があって、それらが全て余すことなくその人を構成する要素になっている。
色メガネをかけて生きることは悪いことではない。外した時の衝撃、落雷、轟音を味わうことができるのだから。
ギャップという言葉があるように、思い込みとは違う姿を目の当たりにした時、人は良い意味でも悪い意味でも吃驚(きっきょう)し新たな学びを得て成長するのだ。
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