昨年、AIで作成した文章を投稿しても採用しないという声明をTwitterで見かけた。それが私とかがみよかがみの出会いである。
そんなわけでAIには感謝してもしきれない。しかし、それ以外では、AIには翻弄されている気がしてならない。

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素敵な写真がSNSで流れてきたと思ったらAI。面白い動画だと思ったらAI。何か調べようと検索したら、検索結果のトップはAI。
話し合いで、あなたはどう思いますかと意見を聞いたら、AIに聞いてみたよとAIの意見を聞かされ困惑した。私はAIではなく、あなたに意見を聞いたのだけど、と思いつつ、それ以上は聞けなかった。

思えば、ちゃんとAIに聞いてみたと教えてもらえるだけで、ありがたいのかもしれない。自分の意見という名目で、AIの意見を出す人もいるだろう。それを踏まえると、今時の大学生のレポートとかは大変なことになっていそうだ。

AIがタイトルに入ったテレビ番組を見付けた。面白そうなタイトルに惹かれて視聴してみたら、タイトルに付いているAIは歌手のAIさんだった。

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AIには翻弄されてばかりと思いつつ、はたと気付く。AIって何だろうか。私はそれすら分かっていない。

WordやGoogleドキュメントで文章を書いていると、てにをはの誤りなどを教えてくれる機能があるが、もしかしてそれもAIなのか。だとするとAIにはすごくお世話になっている。いちいち固有名詞に、入力ミスではないかと指摘されるのはうっとうしいなと思っているけれど。

AIが何だか分かっていないのに、写真や映像、検索結果がAIだと分かるのは、そう書いてあるからだ。逆に言うとAI情報が付いていなければ、判別がつかないのである。写真や映像は、なんか合成っぽい、加工っぽい、非現実的な感じがするとAI情報がなくても、AI生成と分かることもある。それも技術の進歩で判別不能になるのは遠くない未来だと思うのだが。

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大変なのは検索結果である。検索結果のトップに出てくるAIの解答はたまに間違ったことが書いてある。

よく恋人と話していると、私が話したことで恋人が知らないことについて、それは本当かと疑われる。本当だよ、失礼しちゃうとプリプリしつつ、手元のスマホで調べて証明しようとする。しかし、検索結果のトップに躍り出たAIからの情報は間違っていた。嘘をつくなと怒りの矛先はスマホに向けられたが、画面をスクロールして正しい情報が書かれている情報源を探して、事なきを得た。

AIの提示した情報が間違っていると分かったのは、その情報を私が元から知っていたからだ。私のようなケースは稀で、知らないから、分からないから調べるのがほとんどだろう。そこで間違った情報を提示されたら、たまったもんじゃない。それこそ判別ができない。
しかし、AI以外の検索結果が全て正しいかと聞かれたら、それも自信がない。AIが検索結果のトップに出すのは、検索結果の概要である。概要が間違っているということは、間違った検索結果が紛れ込んでいるということでもあるからだ。

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ネットリテラシーが叫ばれるようになってから久しい。同時に、簡単に情報にアクセス出来るから、勉強なんて必要ない、専門家なんていらないという主張もよく聞いた。

今となっては、簡単に情報へアクセス出来るからこそ、間違いも含めて情報が氾濫し、オールマイティにある程度の素養が必要となっている。同時に専門家の必要性も高まっただろう。なんだか皮肉めいたものを感じてしまう。そうやって笑っていられるのも今のうちかもしれない。