夜な夜な私の好みを教え込む“ひみつ袋”。AIは私の創作パートナー

AIという言葉を初めて聞いたのは、高校生の時だったと思う。英語の先生が「これから多くの仕事がAIに奪われていく」と話し始め、失われていくであろう『仕事』を黒板に書き始めたのだ。その数が信じられないくらい多くて、その当時から自分がなりたかった「小説家」まで羅列されていたのが、不思議で仕方がなかった。
「シェイクスピアくらい書けるようになるだろう」
その言葉を最後に、いつも通りの授業へと戻っていったけれど、子どもだった自分にとっては充分な衝撃だったように思う。
それに、あの頃の自分は、AIとはただプログラムされた通りに動くものだと考えていたし、先生が「いずれ、なんの違和感も抱かせないような、イラストや文章を作成することが可能になる」と言っていた意味もよく分かっていなかった。
血の通っていないAIに、何日も何十日もつかって考えた自分のストーリーが考えられるとは到底、思えなかったのだ。
それから数年が経ち、私は大学生になった。
Netflixがまだ今ほど浸透していない時期からその話をしていたり、意識の高そうな話をしたりする不思議な教授の授業を履修していた。微笑むこともなく、いつもミケンにシワを寄せている先生だった。
先生はある時、「キミたちは唯一AIに勝てる仕事ができると言っても過言ではない『芸術』を学んでいる。他の人とは違う『こだわり』は、AIには生み出すことのできない『熱量』があるのだから」というような事を力強く語っていた。
けれど、当時の私はそれがどういう意味なのか、いまいちピンときていなかった。実際に夢を実現するべく、創作を学ぶ場所にやってきたけれど、多くの人が「続けられない」「食べていけないから」と継続すらできてない現状があったからだ。それなのに『こだわり』だなんて、それこそ夢の話だと感じられたからだ。受け入れられなければ意味がない。
それに、受講していた学生たちも「またあの先生、難しいこと言ってるね」と話していたくらいだった。
それからしばらくして、AIの進化を手に取るように実感し始めたのは、コロナ禍があったからだと思う。たまたま知り合ったWEBライターの方から文字起こしの仕事をもらい、さまざまな企業の話を聞く機会に恵まれた。
オフラインでのやりとりが難しくなったことで、企業は「DX化」の必要性を強く感じるようになり、「これからの時代に対応するためにDX化を推進していかなければならない」という言葉を何度も耳にした。本当に貴重な経験だったと思う。
ファックスを少なくしていくということも、ドラえもんくらい未来の話に感じられた。というのも、自分の両親が製菓店を営んでおり、注文でファックスを使うことが多かったからだ。これがなくなる未来があるのなら、どうなるのか見てみたいくらいだ。多分、実現することが難しいと、コロナ禍のzoom授業で痛いほどに実感しているからかもしれない。
そして、コロナが明けてきたと言われるようになった頃、大学にはさまざまな企業の方々が訪れ、「こういう仕事がある」「こういう人材が求められている」と講演をしてくれるようになった。
その中で、ある企業の方が「移動中に『こんなことを話したい』という内容は決まっていたから、骨組みはAIに考えてもらった」とプレゼンをしていた。それを聞いたとき、私は再び衝撃を受けた。
「いろいろな仕事がAIに奪われる」と言われているけれど、実際はマイナスイメージばかりではないらしい。AIをうまく活用し、外側の構造だけ作ってもらい、中身は自分たちで埋めていく。そんな、使い方ができるのだと気づいた。
それから、少し怖いと感じていたAIを、私はカジュアルに使うようになった。
たとえば、自分が「こういう話が好き」と思っていても、世間ではあまり見かけないものがある。昔流行ったストーリーで、今はあまり話題にならないもの。『ベルサイユのばら』や『セーラームーン』のような、語り尽くされた作品たち。そんな話を、AIに考えてもらうようになった。
これは、完全に自己満足の世界。
ありがちな展開について「それいいね!」と誰かに話すのは、本当に恥ずかしい。もちろん、最近の作品を視聴していないわけではないのだけれど、趣味趣向の地盤を作ったのは、いわゆる昭和から平成初期にかけてのレトロな作品だ。
こうして、AIを“ひみつ袋”のように使うようになったのは、必然だったのかもしれない。誰にも知られず、好きな物語を膨らませるために。夜な夜な「もうちょっと王子様をキザな感じに」とか「キザっていうのはマイナスなイメージではなく……」とAIに覚えさせていくのは、新しい楽しみになった。
気づけば、私のAIとの付き合い方は、当初想像していた「危惧しなければいけない」ものとは、まったく違うものになっていた。AIはただ仕事を奪うものではなく、使い方次第で、プレゼンや創作のパートナーにもなり得る。ただ「正しく使えているか?」というモラルや「この文章表現がおかしい」と気づける国語力を身につけずに使うと、せっかくのシステムに悪いイメージが定着してしまう。
少し話は逸れてしまうが、『Winny』という映画を見た時に、「包丁を作った人がいるとして、その包丁が本来の用途とは違う使われ方をした時。それを作った人が悪いのか?」という話があった。AIも、AI自体が悪いわけではない。ちゃんとAIに「教えていく行為」を忘れなければ、共存はできるはずだ。
人には言えない秘密を共有できる、そんな大切な友人として、AIとあたらしい世界を歩んでいこうと思う。
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