求めるのは答えじゃなくてキッカケ。ChatGPTとの付き合い方

2022年12月にチャットGPTが誕生し、AIが学習面において、ぐっと身近な存在になるきっかけを与えた。
文系からIT企業に就職予定の私は現在、会社から提示されたe-learningでプログラミングを勉強中。映像授業通りにコードを書いても思い通りに画面は動かず、エラーを突きつけられることも。そんな時に自分のコードを丸々コピーしてチャットGPTに「どこが違う?」と聞くと間違いを指摘してくれる。
大体、英語のスペルミスといったケアレスミスだ。プログラミングは1つ間違えるとそこから先に進めないので、プログラミング初心者の私にとってチャットGPTは勉強の足止めを最小限に抑えてくれる有難い存在だ。
そして何度同じことを質問しても、基本的なことを聞いても「良い質問ですね!」と言って解説をしてくれる。高校1年生の時、初めての物理基礎の授業で先生は分からないことがあったらすぐに質問しろといった。私は素直にその言葉を受け取り、先生に疑問をぶつけた。1回で解説を理解できないこともあり、何度も似たような質問をしていた気がする。
そのように授業を受けていたら「おまえはみんなの授業を止めている」と先生に怒られてしまった。分からないことは質問しろといったのは先生なのにと思いながらも自分の理解力の悪さに罪悪感を覚えていた。
大学生になり、チャットGPTを活用するようになって気兼ねなく質問できる勉強の相方が誕生した。そのおかげで、得意ではないプログラミングという分野に対してモチベーション高く勉強に励むことが出来ている。
AIに対してポジティブな意見を述べてきたが、私は自分の学力を効率的に向上させるためにチャットGPTを使っているわけで、何か成果物をつくるためやタスクを早く終わらせるためではない。
周りを見れば、チャットGPTにレポートのお題を与えて、返答そのままを提出する人もいるが、その使い方が許容される世の中になってはいけない。AIを上手く使いこなすには、それなりの学力の積み上げや経験が必要だと思う。
小学生の頃から何度も手を動かして繰り返し問題を解き、何で間違えたのかを考え、試行錯誤した日々。効率重視ではなく、時間をかけて努力したきた賜物が今の私の思考力や想像力である。もし私が小学生でチャットGPTを使える状況にいたらどうなるのだろう。問題文と選択肢をひたすら打ち込んで、チャットGPTが示した答えを書く。答えの後に書かれた解説文は読むのだろうか。丸ばっかりのワークに優越感を覚えてしまわないだろうか。
学校ではタブレットが活用され、勉強スタイルも変化してきた。ただ、私はAIが勉強の主軸にいてはいけないと主張する。紙と鉛筆で勉強しようが電子機器で勉強しようが、自分の力で考えて学力を定着させていく方法は今も昔も変わらない。
チャットGPTは何か物事に白黒つけるためのものではなく、あくまで疑問や問題を解決に導くきっかけを与えてくれる一つのツールにすぎないことを常に意識する必要があると考える。上手に活用すれば、自身のレベルアップに向けて最高の相方になってくれるはず。
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