生きていくために、今、止まる。自分を守る選択をできた事が誇らしい

社会人5年目を目前にした今、わたしは休職している。
「マグロは泳ぎ続けないと死ぬ」と聞いたことがある。マグロが止まれるのは死ぬ時だけというわけだが、人間のわたしも結局のところ似たようなものだと思っていた。止まることなく働いて、社会に貢献していくものだと、そう思っていた。
そんなわたしが、休職することを選んだ。
昨年の秋頃から、わたしの所属部署は新体制を迎えた。そこからあっという間に負の連鎖が始まった。
上司への不信感は日に日に募り、重すぎる業務負担に対する不安も、比例するように膨らんでいった。それに加えて前例がない新人指導も任されることになり、抱え込みがちな元々の性格もあって、責任感で押しつぶされそうな毎日を送っていた。食べることが生きがいだったのに何も食べる気にならず、好きなアイドルにも興味がなくなり、休日も仕事のことしか考えられないほど追い込まれていった。
それでも、「こんなにつらいのは自分が至らないからだ」「もっと頑張らないとだめだ」と心に鞭を打ち続けた。
そんな状況にありながらも、10年間の学生生活を体育会系の部活で過ごしたおかげもあって、わたしは自分の頑丈さにはそれなりの自信を持っていた。真面目で、健康で、忍耐強いことが自分の取り柄だと思っていたから、周りに心配されても「いやーやばいっすよね(笑)でも大丈夫ですよ!」と笑い飛ばした。
むしろ、周りの人にここがわたしの限界なんだと思われるほうが恥ずかしい気がして、自分はもっとやれるはずだと言い聞かせた。
そうしてなんとか年末までは走り抜けた。
年が明けると、回復するどころか、今度は気持ちの糸が切れてしまったように何も考えられなくなってしまった。
仕事にほとんど集中できず、先のことを考えようとしてもモヤがかかったように形にならない。お客さんからのメールの文字は脳を滑っていった。人と話しても思ったように言葉が出てこず、頭にあることと違うことを言ってしまったり、返答が噛み合わなかったり、自分が自分じゃないみたいだった。
朝、いつもと同じようにアラームで目が覚めた。前日に夜更かしをしたわけでもない、いつも通りの朝だった。
それなのに、わたしは動けなかった。脳と体が切り離されたみたいだった。
起きようと思えば起きられたかもしれない。急いで着替えて駅まで走れたかもしれない。
でももう、だめだった。
苦しさの答え合わせをするように、心療内科の当日診療に駆け込んだ。
淡々と症状を聞き取られ、淡々と結果を言い渡され、浅い呼吸のまま「適応障害」と書かれた紙切れを受け取った。
冒頭でも書いたように、この時のわたしは「再起不能になったわけじゃないのに休むなんて……」と思っていた。それどころか、休みたいばかりに適応障害のふりをしてしまったんじゃないかと自分を疑いさえした。
「でも、じゃあ、今止まらなかったら、止まれなかったら、わたしどうなっちゃうんだろう?」
ふとそう思った。怖くなった。
今休まなければ、この先もう二度と止まれない気がした。だからわたしは「休む」という選択肢を取ることにした。ぶっ倒れて休むしかなくなる前に。自分の意思で選べるうちに。
とはいえ、休み始めてすぐは休めた安堵と罪悪感が交互に訪れて「こんなことなら休まなければよかった」という気持ちもあった。それでも時間とともに、徐々に「自分の感覚」に意識を向けられるようになっていった。お茶がおいしいとか、風が気持ちいいとか、本が読みたいとか。
職場の人には申し訳ないとしか言えないが、仕事のことを忘れた途端、こんなにも朝日が眩しいとは思わなかった。少し前までは、鉛でもぶら下げているのかと思うほど頭が重かったのに。
そっか、わたし、ちゃんとつらかったんだな。ごめんね。
過度に自責をしていたことを認められたのは、勇気を持って立ち止まったからだった。
わたしも自分を守る勇気を持てたんだ。よかった。自分を誇らしいと思った。
最後に。
現在休職中で、非常にタイムリーなお題でしたので、投稿せずにはいられませんでした。
わたしはこの文章で「休んだ方がいい!休職はいいぞ!」とかを言うつもりはまったくなくて、むしろ休むことで余計に自分を責めてしまうとか、走っている方がマシという気持ちのほうが、痛いほどわかります。
ただ、もし休みたいけど休むのが怖いという方がいるんだとしたら、わたしのように「止まったらおしまいだ」と思い込んでいた人間も立ち止まれたという事実が、少しでも力になれたら嬉しいです。
マグロと違って、我々は多少止まっても平気なようです。
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