かつての私は、人の顔色を窺ってばかりいた。

今この人はどう思っているのか、何を考えているのか、など相手のあることないことを想像した。話しかけるタイミングを見計らい、時には、話しかけない理由を作っていた。

人に話しかけることが苦手な私は、相手が他の人と話していると話しかけられず、向こうから私にベクトルを向けてくれないと話せなかった。何となく私が近くにいる雰囲気や存在感を醸し出し、視界に入れていなければすぐに気配を消した。

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すぐに伝えたいことも伝えられず、仕事では報連相がなっていない、と指摘を受けるほどだった。

タイミングを見計らっているときに限ってタイミングを逃すことが多い。気がつくと相手がいなくなっていることや、別の話題に切り替わっており、話しかけにくさは変わらない。むしろ増しているときもあるくらいだ。こうなればますます私の存在は小さくなっていき、相手にとっても、ただ近くにいるだけの人、というカテゴリに分類されて終わる。

結果、私の中で連絡事項の重要度が薄れていき、報告できないまま時間を無駄にすることが何度もあった。半年から1年に1回くらいは、重要な報告をしていない人として吊し上げられてしまうこともあった。

私の中では、故意に起こしたことではないが、私が1歩引いてしまったために起きたことだ。悪いのは私であることに違いはない。人の習性からしても、どこかに悪者を立てておきたいとなり、私に矛先が向く。一度は落ち込むが、なんとか自分を奮い立たせて、次こそは連絡を怠らないようにしようと意識を向けた。

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卒業をした、とまで完全になくなったわけではない。どうしても話しかけるときに尻込みしてしまうときもある。しかし、過去の経験から、伝えないのはやめよう。些細なことでも誰かに伝えておこうと意識を変えた。

顔色を窺うのではなく、とりあえず報告をする、あとは相手に任せる、というスタンスを取るように意識をした。こちらは伝えたという事実を作るのである。こうすれば、私発信のミスは少なくできる。私が悪いことをしたと落ち込むこともなくなる。

考え方の違いとしては、他人軸から自分軸に変えたことがポイントだ。今までは、100%他人軸といっても過言ではないくらい振り切っていた。相手がどう思うか、私のことを悪く思っていないかを考えていたのだ。

だが、生きやすいのは自分軸で行動すること。行き過ぎると自分勝手に思われることもあるが、マインドは明らかに軽くなる。私がしたいことをする、思ったことを言う。私の意思で動けば、仕事もはかどっているように思える。充実した日になる。

意識を変えてからは、仕事もしやすくなったように思えた。たまに自分勝手ではないか、と思うときもあるが、昔の自分よりは全然良いだろうと思うことにしている。

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人の顔色を窺っているときには、きっと私がオドオドした人に見えていただろう。自信がなさそうに見える、言葉がはっきりしない、など散々言われたこともある。直接飛んでくる否定的な言葉に苛立ったこともあり、私を否定されている気持ちになった。

今は、自信のなさを指摘されることは少なくなった。まだあるものの、改善の余地として捉えられているため、前ほどグサグサと胸に刺さるものはない。

人の顔色を気にしないだけで、ここまで気持ちが変わるのだと驚いた。仕事も楽しいと思える瞬間が増えてきており、働くこととプライベートとの住み分けができつつあるのだと感じている。

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人の顔色を窺うことから完全に卒業するのにはまだまだ時間がかかりそうだ。それでも、着実に卒業に向けて歩んでいる実感はあり、学びながら成長している実感もある。これからさらに自分軸でいられる時間を増やせば、さらに生きやすく楽しい人生が待っていると思うと、ワクワクもする。

自分軸は、まだ意識をしなければ持てない状況だ。いつか何もしなくても自分軸を持てる私になりたい。もっと理想を言えば、自分軸のなかに他人軸を持てるようになりたい。そうすれば、自分のことも相手のことも考えられる人になれるから。

もっと成長できるとわかったからには卒業に向けて速度を上げて進んでいきたい。