文章を書くということは、ありのままの私になることだ。
私は口下手だ。その上、友達や家族にすら自分の感情を素直に伝えることができない。怒りや悲しみなどの負の感情は尚更だ。
そんな私にとって、想いを伝える手段が文章を書くことだった。

◎          ◎

私は三姉妹の末っ子だ。だから、小さい時から親や姉の顔色を伺いながら、怒らせないように生きてきた。特にそれをストレスに感じることはなかったし、今ではもうそれが当たり前になった。
しかし、そのせいだろうか、他人の表情の変化には敏感になった。そうすると、だんだん自分の心と口が繋がらなくなってきた。自分の感情が喉の辺りで堰き止められるのだ。

一方で、文章になるとスラスラと言葉が出てくる。なぜなら素直に文字を綴ったとしても、それを誰にも見せなければ伝わることはないからだ。誰かに向けた言葉だとしても、一度書いた言葉は何度だって書き直せる。そうやって文章を書いていると、相手を傷つけずに自分の言いたいことも言える最適な文章が完成した。

◎          ◎

小学4年生の時だった。初めて友達と些細なことで喧嘩をした。その時もただ気まずくなるだけで言い合うことはしなかった。正直、喧嘩の内容は思い出せないが、今でも、風呂場で涙を流した記憶が鮮明に残っている。
そこで、このままではいけないと思った私が手に取ったのが、レターセットとペンだった。
不思議なことに、文章を書いているときは素直になることができた。素直に「ごめんね」と謝ることができた。そして、こんなふうに書いたらどう思うだろうか、そんなことを考えながら何度も読み返して、相手を傷つけないように最大の配慮をして、言葉を綴った。

翌日に友達に手紙を渡した。休み時間の度に「もう読んだかな」とドキドキしながら相手の反応を伺った。そして、手紙を読んだ友達が話しかけてきてくれて、無事に仲直りをすることができた。
手紙を通して、初めて友達に思いが届いたような気がした。これが、口下手な私が文章を書くようになった始まりだった。

◎          ◎

中学1年生の時は、当時始めたばかりだったLINEを使って、初めて好きな男の子に告白をした。友達の誕生日には手紙を書いた。20歳の誕生日には親に感謝の手紙を書いた。どれも直接は恥ずかしくて言えないけれど、文章になると素直に想いを伝えることができた。
また、辛いことがあると日記を書いた。誰にも見せることができない私をさらけ出すことができた。

しかし、時々、言いたいことは口に出さないと伝わらないと言う人がいる。
本当にそうだろうか。口から言葉を伝えることが唯一の、まっすぐに想いを伝える手段なのだろうか。私はそうは思わない。
相手を目の前にすると顔色を窺ってしまう人だっている。思ってもいない言葉が次から次へと口から発せられる人だっている。口からだけでなくても想いを伝える手段はあると、まさに私の人生が証明している。
また、「ラブレター」という物が存在するのだから、きっと私に共感してくれる人は多いにいるはずだ。

私は、口下手な人間にとって、文章の方が上手に思いを伝えることができると思う。なぜなら文章が見せる私は嘘偽りのない「私」だから。だから私は文章を書く。