結婚して1年が経った。やっと新婚フィーバーが落ち着いた。

2024年は既婚者になった年だった。
年明け早々に転職し、25歳の誕生日を迎える直前、ギリギリ24歳で婚姻届を提出した。24歳で結婚することにこだわりがあったわけではない。「結婚なんてしなくてもいいじゃん」が口癖だったのに、「この人と結婚します」と私の両親に紹介して2か月後には婚姻届を出した。電撃婚みたいに聞こえるけれど、交際期間はちゃんと1年半くらいある。

私は、婚姻届の上に指輪を3つ並べた写真をSNSに投稿するタイプではないし、LINEの名前を変えてかっこ付けで旧姓を記すタイプでもない。
親しい友人からは「本当にさらっと結婚したよね」と言われている。
結婚したら確かに暮らし方は変わるけれど、私という人は変わらない。それを伝えたくて、結婚して最初の数か月間は、家族や親しい友人にだけ結婚した事実を打ち明けていた。

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「かっこいい方の名字にしよう」という個性的な夫のおかげで名字を変えなかった私は、銀行口座も身分証も変更する必要がなかった。
だからこそ、結婚してすぐに勤め先に言う必要もなかった。
本当は良くないけれど、婚姻届を提出して、引っ越しが終わって色々と落ち着いてから、人事課に結婚の事実を伝えた。

25歳の1年間をかけて、いわゆる新婚生活を満喫してきた。
結婚式の準備をして、結婚式をやって、新婚旅行と題してオーロラも見に行った。結婚式の1週間後には大学院の入試を受けた。
この春でやっと26歳。姉が結婚したのは28歳だった。
世の中の平均初婚年齢よりも早く、私は結婚2年目という肩書を手に入れた。

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2年目に突入して気付いたけれど、私は結婚してから「既婚者目線」という色メガネを手に入れてしまった。
人と初めて会う時には、まず左手や右手の薬指を見てしまう。結婚しているかどうかなんて人の評価に関係ないのに、どこかで「私と同じように平均より若い年齢で結婚した仲間」を探している気がする。
30代前後に見える女性が指輪をしていないと「この人は仕事をバリバリ頑張っているんだ」と思ってしまう。「結婚していない=仕事を頑張らないといけない」ではないし、結婚の自由があるべきだと分かっていながら、そのように推測してしまう。

少子高齢化、子育て支援、高校の授業料無償化など、世の中のニュースを見ていると、たまに「女性として生きるって本当に大変」と思ってしまう。
誰かが私に命令しているわけではないけれど、規則正しく生活して、朝にお弁当や夕食用のおかずを作って、20時前には夫婦で一緒に晩御飯を食べる。そのような生活を守らなきゃと頑張ってしまう。
心の中では、「女性だから」という枠組みを超えて生きていきたいと思っているけれど、「女性としての生き方」「家族を支える妻」というあり方に囚われてしまう。

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社会からの「妻とはこうあるべき」という視線を気にして頑張ってしまい、完璧主義な私は時折パンクしてしまう。

ただ、恩師の何気ない一言のおかげで救われた。
母校で以前お世話になった女性の先生が、校長先生になることになったと聞いて、会いに行った。結婚を報告して、働きながら大学院にも通うことも話した。
「勉強も仕事も家庭も、あなたのことだから、きっとバランスよくやっていけるよ」と言われた。

そこで私は聞いてみた。

「校長になるのって正直覚悟いりますよね」
「そうね、夫とはこれから4年間毎日カレーライスでもいいよねって話してあるから。まあ今までも料理はそんなにこだわってないけどね」と笑い飛ばしてくれた。
先生の言葉を聞いて、何だかとても心が軽くなった。

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カレーライスだって決して簡単な料理ではない。
じゃがいもの皮むきも肉のアクとりも面倒な作業ばかりだけれど、先生が言ったことの真意は決してカレーライスは簡単な料理だからということではないと思う。

「仕事も家庭も自分のやりたいことも全部叶えるって大変。全部を完璧にやったらしんどいよね。だから、妻としての役目なんて完璧にやらなくていいんだよ」

これが先生からのメッセージな気がする。

毎日同じ料理を4年間食べ続けることになったって全然いいんだ。
家にほこりが溜まってもいい。
カレーライスじゃなくて、料理を全然作らなくてもいい。
早起きして家事をして、会社から急いで帰って、「ごめんね、今日遅くなって」と疲れ果てた顔の私よりも、毎日楽しく、笑顔で、「今日は面倒だからマックにしちゃおう」とカロリー摂取に振り切る私の方が、きっと私も夫も周りも幸せだと思う。