「お前みたいな女っていじりにくいんだよな」

バラエティ番組を制作する部署に入った数日後、先輩に言われた言葉だ。

新卒で入った会社はテレビの制作会社だった。そこでバラエティ班に配属された私は、飲み会で周りの先輩たちからそういった洗礼を受けた。

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先輩によると、バラエティ番組を作っている以上は日常的に面白いことを言わなきゃいけない。いじったりいじられたりもその面白いことに入る。だからいじられるのも才能なのに、真面目そう・しっかりしてそう、何より「若い女」であるせいで私はいじりにくい存在らしい。そしてそれは煙たがられる要因になるらしい。私は混乱した。

「どうやったらいじりやすくなりますかね」
「そういうところがよりめんどくさいんだよ」

それでその話は終わった。

私は変に真面目だったので、バラエティ向きでない自分が悪いと本気で思い、どうすればいじりやすい人間になるかを考えた。結果的に、バカのふりをすることにした。もう少し舐められたほうがいいのかも。そのほうがみんな仲良くしてくれるんじゃないか。新社会人であった私にとって、職場の人間関係は世界の全てだったから。

だから私は、「真面目そうな若い女」という色眼鏡で見られることよりも、「バカな若い女」と見られることを選んだ。

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そしてそれは、ある程度成功した。次に入った現場で、私は徹底してバカを演じた。まあバレバレだったとは思うが、そうすることによって許されることはたくさんある。「キャラ付け」がうまくいったことによって、みんな私にとてもフランクに話しかけてくれた。先輩たちみんな優しくなった。それはそれでよかったというか、そうでなければ多分その現場を完走できなかったと思う。

でも、泣いている同期を励まして、君にはこんないいところがあるよとか、結構突っ込んだ話をしたとき。同期から「明日香ちゃんってバカじゃなかったんだね」と言われたことが忘れられない。そういえばそうかもしれない。私はバカじゃない。長く演じていたせいで自分でも忘れていた。

私は自分が色眼鏡で見られることを恐れるあまり、自分からキャラ付けをして、別の色眼鏡で見られるように仕向けていたことに気づいた。

処世術としてそれが全くナシとは言えない。それくらい過酷な環境にいたから。でも、周囲から舐めた態度を取られることで、私の心はだんだんとすり減っていった。自分でやったことの結果なのに、それが気に食わない自分は本物のバカだと思った。

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プライドを捨てたことでだんだんと、自分が本当はどういう人間で、何を考えて生きているのかわからなくなってしまった。

そんなとき、親友に電話した。無意識に、自分がどんな人間だったか知りたい気持ちが芽生えたのだと思う。高校時代からの親友である彼女は、私の自嘲をしばらく聞いてくれた。

冗談めかして、

「おかしいよね。私って、なんなんだろうね」

と言ったら、彼女は

「明日香はおかしくないよ」

と答えた。

「ううん。おかしいし、本当にバカなのかも」
「そんなわけない。明日香には、明日香の信念があるから」

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その言葉には聞き覚えがあった。

高校の頃、私は似たようなことをしていた自分を思い出した。部活のメンバーが不仲になった時、部長だった私はとにかく「いい子」を演じていて、自分は何がしたいのか見えなくなっていた。

そんなとき、当時の彼女が言ったのだ。あなたにはあなたの信念がある、と。

彼女と話してから気づいたのだが、私の「バカのふり」は、昔していた「いい子のふり」と同じで、逃げだった。そういう自分を演じることでミスを許してもらおうとか、みんなに可愛がってもらいたいとかいう、ずるい考えのもとやっていたことだった。

私は翌日の撮影で、自分は何をすべきで、どこに気を遣い、なにを優先すべきかすべて真面目に考えて仕事をした。そうしたら、自分のキャラにこだわる余裕なんかなく、どう見られていようがどうでもいいと思った。めんどくさいと思われても、いじりにくくてつまらないと思われてもいいから、わたしはわたしなりのやり方で仕事を頑張ろうと思った。

すると、今まで話しかけてくれなかったメイクさんやドライバーさんなどのいろんな人たちから急に褒められた。

何がいけなかったのかわかった。私は自分を守っていたのだ。本当の自分で勝負しないことで、否定されても大丈夫、だってこれは私じゃないから、と思おうとしていた。そうすることに必死で、1番大切なこと、つまり作品作りのために頑張るということをおろそかにしてしまっていた。

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一度ついたキャラはなかなか消えなかったけど、それからは私らしく真面目に仕事をして、最後はありのままの自分として現場を終えることができた。

これからも、色眼鏡で見られることはきっとあるし、傷ついて苦しんで、また何かを演じることもあるかもしれない。でも、自分を見失わないでいたい。色眼鏡を通して見られることが、呪いになると知ったから。