陽キャと陰キャ。この2つの言葉が嫌いになったのはいつ頃だっけか。たぶん高校に入学して、高校デビューに失敗した後からだったと思う。

中学生くらいの時からこの2つの言葉が学校の教室でよく使われるようになった気がする。みんなが使っていて、自分は知らなかったはずの言葉だった。なのに意味は何となくみんなの使い方で分かってしまった。陽キャはコミュニケーション能力が高くて積極的な人。流行にも敏感。陰キャはおとなしめで物静かなオタク系の人。そんなにオシャレとかには興味なし。簡単にまとめると、陽キャはあらゆる能力、性格の中の優劣の優の方に位置すると思っていたのだ。だがこれは、私の中学時代の勝手すぎた解釈だった。

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中学の時、みんなは私のことをどう思っていたのだろう。自分の中では自分を陰キャだと思っていた。ファッションには興味が全くなくて、アニメや漫画、アイドルが好きだった。けれども、そんな自分が嫌だった。陰キャという言葉は、マイナスな話の時、けなされる時にしか使われなかったからだ。陽キャになりたかった。慣れれば陽キャの人とでもコミュニケーションは取れる。ファッションとかも、ファッション誌を見ればなんとかなる。だから、高校では最初から明るくてキラキラしたキャラを振る舞えば陽キャになれる。そんな甘い考えからだ。私の高校デビュー失敗は。

恥ずかしくてもうあまり思い出したくない話だが、高校1年生の時、高校デビューに失敗した。自分じゃない自分を演じていても楽しくないことに気づくのが遅すぎて、高校1年間を無駄にしたなと今になって思う。

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中学の卒業時にはコロナが流行していた。高校に入学しても、最初の2ヶ月くらいはオンライン授業だった。同じ高校の同級生と会えない、そんな中、高校の学年のグループLINEで、インスタのアカウントをフォローし合う流れができていた。中学生の時はスマホを持っていなかった私はインスタを入れたばっかりで、正直インスタがその人の全てだと思い込んでいた。インスタの更新頻度が高くてキラキラしているような人と友達になりたい。そういう人がいわゆる陽キャだ。そのような人と友達の私も陽キャだ。そのはずだった。

けど、実際会ってみると、それが完璧にあてはまるとは言い難かった。インスタの更新頻度が高くても、全然積極的なタイプじゃない人がいた。逆に、コミュニケーション能力が高くても、インスタの更新を全くしない人もいる。流行に敏感で、流行が全てみたいな人でも、アニメ好きでオタクみたいな人も全然いた。よくしゃべる子でも、見た目には気を使わないような子もいた。すごくおとなしくて真面目で勉強だけを頑張ってそうな子が、長距離走でクラスで1番だった。全然喋らないおとなしいと思っていた子が、最初は人見知りをしていただけでよく喋る子だった。簡単な言葉で表すと、「色んな人がいる」のだ。こんな簡単な言葉で言い表すことしかできないのが悔しいが、これしか言葉が思いつかない。

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1年生の時の失敗を活かした私は、2年生からは自分らしく生きようと思った。これが大正解だった。本来の私は人見知りが激しくて、友達ができにくい。だから2年生最初の方は全然友達ができなかったが、終わりの方は高校を卒業して2年経つ今でも仲の良い友達がいる。自分にあった友達を作ると、その人のいいところがよく見えた。陽キャとか陰キャとか関係ない。私の友達は優しくて、努力家で、人として尊敬できて、誇りに思える友人だ。

そんな経験からだと思う。陽キャ、陰キャという人間を2つにしか分類しないような言葉が嫌いになって、使わなくなったのは。他にも、マイナスなイメージでしか人を表さない言葉も嫌いだ。過去の自分は視野が狭すぎたとかなり反省している。そもそも、人の性格や能力に優劣なんてない。つまりは、「みんな違ってみんないい」のだ。