中学1年の終わり頃、震災があった。

私は北海道で揺れを感じたが、いつもの地震とは違い、なんだか船の上にいるような揺れを今でも覚えている。

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元々テレビっ子だった私は、帰宅した後から世の中の流れをずっと見ることになった。
震災直後の惨状、CMが全てACに変わっていくこと、ただ増えていく数字とニュースの声。
ただ見ているだけしかできない立場であることが、子供だからとか関係なく重く感じた。

それは、今振り返るとコロナ禍の緊急事態宣言の頃と同じ状態だった。
一人ひとり、できることが何もなくて頭で考えることだけしている状態。

人間はこの状態だと少しずつ病んでしまうのだな、と生きてきて27年間の中で2度も感じることになるとは思わなかった。

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震災前後で何が変わったかな、と考える。
確実に変わったのは、津波に対する考え方だろう。

震災前は地震=津波という認識は全くなかった。
地震が起きた際の避難訓練で重視されていたのは、揺れに備えることと揺れの後にどう避難するか、それだけだった。

震災後、学校では津波も想定した避難訓練が行われることになった。
人々の認識が変わるのは、やはり教育からなのだろうなと思う。

私が震災後に避難訓練を受けたのは数えるほどなので、ちゃんと身体に染み付いているのか?と言われると微妙かもしれない。

ただ、私よりも下の世代がきちんと身につけているのであれば、それに越したことはないなと感じる。

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どんなことも起きてから対処するしかなくて、先人たちの教えから学ぶしかないのだ。
個人的な防災意識も少しずつ変わってきている。

両親は備蓄品を用意するようになったし、常日頃ソーラーパネルから電気を作り、電化製品を使える状態にしている。

私も日頃ソーラーパネルは使っていて、何かあったときのためにも毎日充電するようにしている。

同居人とは、震災が発生した際にどこに集まるか?というのを話したことがあるし、近所の避難場所やハザードマップは住む前に確認するようにしている。

個人でできる防災は限られているが、個人で対処できることはたくさんある。
日頃、ストックできる缶詰などを買っておいて、使ったらまた購入しておく。
トイレットペーパーやティッシュなどは、少しでも多いものを購入する。
暮らしをする中でできる防災もたくさんあるのだ。

きっとまた、震災はどこかで起こるだろう。 そのとき私が当事者なのか、そうでないのかは誰にもわからない。それでも、備えていることでひとかけらの安心感を持てるのであれば、私はそれでいいのだと思う。

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一人ひとりの備えに正解はないし、最終的には起きないことを祈るしかできない。
結局のところ、人にとって最後に残る防災は祈りなのかもしれない。