今年の誕生日で30歳になる私が生きて来た中で一番はっきりと記憶している震災というと、2011年の東日本大震災である。当時は生まれ育った長野県に在住していた為、震災による被害というものは特に影響は受けなかったが、その時点で15歳であった私にとっては人生最大の地面の揺れを感じた日であった。

あの日のことは、きっと多くの人がそうであるように何年経っても、その時何処で何をしていたかを思い出せてしまう出来事であったと思う。なんてことのない、3月のとある1日であったあの日を。

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生きていれば人は27歳5ヶ月の時に、生まれて10000日目を迎えるらしいが、その事実を知っていて、更に祝う(気付く)27歳は少ないかもしれない。私もそれを知ったのは2歳年上の姉が27歳の時に聞いた。

しかし2年あとに来る己の10000日目を待ち構えようとは特に思わず、27歳5ヶ月にその日が来るということも忘れて日々を過ごしていた。

思い出したのは昨年の28歳の時。もう過ぎているが、何月何日であったのかを知りたくて出来心で日数を調べられるカウンターに生年月日を入力した。すると、私が1995年に生を享けてから10000日が経過したその日は2023年3月11日であった。

人生で最大とも言えるハッキリとした地面の揺れを体感したあの日から丸12年後の日であったと知った。

その日、生まれて10000日目であった2年前の3月11日、私は何をしていたか?遡れる限りでSNSなどのあらゆるものを遡ったが、分かったのは特に何も特別なことはなく、仕事をしていただけのようであった。

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別に、10000日目を祝いたかったわけではないが、もしも事前に知っていたら、何か意識しただろうか。10000日の間に私は生死をさまようこともなく、概ね健康に、無事に生きてきた。10000日目以降の今日に至るまでも。そしてそのキリの良い日数でさえも特に特別だとは思わずに生きて来た。

14年前の3月11日以降、多くの誰かは迎えることが出来なかった「生まれて何日目」をただただ積み重ねて生きて来た。それが悪いことではないのだろうが、「なんてことのない1日」として過ぎてしまったその私にとっての「生まれて10000日」を、震災から丸12年の慰霊の日を重ねて考えを巡らせてみたかった気もする。

震災を偲ぶことはいつでも、何月何日でも、おこなうことは出来るが、その日におこなってみたかった。意識しなければただ過ぎてしまうその日に、特別なことをしてみたかった。

私が10000日を生きたことを祝うのではなく、10000日を生きさせてもらえたことにありがたみや尊さを感じてみたかった。感じるべきだった。

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今年2025年の3月11日は、私の生後の経過日数は特にキリは良い日ではなかった。だが、仕事の休みの曜日であったから時間を作って東北へ渡ろうと思っていた。3月11日に東北の地に降り立って、特別に14年前の震災のことをその地で偲んでみたかった。

しかしながら結論から言うと今年の3月11日には東北へ向えるスケジュールではなくなってしまった。

東北行きを取り止めなくてはならなくなったのは、深刻なことが招いたのではなく、己が「なんてことのない1日」として、特に大事にもせずに、ただ経過させてきたことの積み重ねで締切ギリギリの確定申告に追われているという怠惰が招いたことである。

これもまた、日々の尊さを忘れていたことの一つであると我に呆れながらも、いつか3月に東北へ行こうと思う。3月でなくても良いかもしれないが、敢えて3月に東北へ渡り、特別にあの地面の揺れのことから思いを馳せて、震災や自身が生きている、生きていくことのあれこれを考える日を迎えてみたいと思っている。